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阪神タイガース

岡田監督5年間お疲れ様でした

本音を漏らすと、胴上げは日本一達成時に見たかったです。

次期監督が誰が監督になろうとも、主力選手の高齢化、若手の伸び悩みなど、課題は山積みで、優勝争いもしばらくは諦めなければならないかもしれないが、生涯トラキチを続ける事に偽りはない。

中日ドラゴンズには是非とも頑張ってもらって、日ハムとの日本シリーズを実現し、クライマックスシリーズがいかにしらけた仕組みであるかを示してほしいものである。


それにしても理解できないのが、某所で行われたタイガース次期監督アンケートの結果。なんで1位があの男なのか。誰が投票しているのだろうか。少なくとも、自分の周りの阪神ファン及びプロ野球ファンの間では、あの男だけはあり得ないという見解で一致したのだが。

この怒りは何処にぶつければよいのか

悔しい。

情けない。

クライマックスシリーズがあろうが、リーグ優勝できなかった事実は変わらない。

今日も負けているではないか。

個人的A級戦犯は以下の3名。

星野シニアディレクター、新井、岡田監督

次点、今岡、久保田

情けねえ。

プロ野球セ・パ交流戦観戦記'06

昨年に引き続き、千葉マリンスタジアムで阪神-ロッテ戦を観戦してきた。

当日は雨が降ったりやんだりの天気で、雨天中止になる可能性もあったのだが、なんとか30分遅れで試合開始。

先発は昨年と同じく杉山で、阪神は2回表にスペンサーのホームランで先制したものの、3回裏に杉山が捕まり、2点返されたあげく、無死満塁の大ピンチとなった。ここで早々とピッチャーを能見に代えたのだが、なんと3者連続三振に打ち取り、ピンチを逃れた。

そして、両チームの5回の攻撃を終え、打ち上げ花火を観覧した後で雨脚が強くなり、試合は中断となった。中断時間が20分を超えた当たりから、外野の阪神ファンサイドを中心に主審の小林コールが始まった。結局、雨脚は収まることもなく、中断時間は30分以上経過し、雨天コールドが宣告され、あっけなく阪神勝利で終わった。

試合には勝ったものの、7回の風船とばしを迎えることができなかったのでやや消化不良であった。試合終了宣告直後に風船を飛ばしたが、飛距離が伸びず明後日の方向に飛んでいってしまった。


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祝・岡田阪神セントラルリーグ優勝!!

2年前、星野仙一監督が勇退して岡田彰布監督が誕生したとき、すごく不安だった。2軍監督で実績を上げているとはいえ、またダメ虎に逆戻りしやしないかと心配で心配で。案の定、翌年のシーズンは優勝を逃し、さらにAクラス入りもできずに4位に沈んだ。フロントからは優勝の奪回を要求されたが、今年も開幕当初は弱かった。5月に千葉マリンスタジアムへロッテマリーンズとの交流戦を見に行った際にも、当時の強すぎるロッテに敗れた。今年も駄目かと思った。

ところが、ぶっちぎりの1位をひた走っていた中日が交流戦で大きく負け越し、阪神も交流戦をきっかけに強くなっていった。8月の死のロードを1994年以来11年ぶりに勝ち越した。2年前は7月まではぶっちぎりに強かったが、8月からはもたもたしていた。優勝できたのは前半戦の大量の貯金があってのものだったとも言える。しかし、今年は、夏を過ぎても、というか、夏を過ぎてますます強さは加速していった。

9月になってマジックが点灯し、一度は脱落しかけた中日がまたじわりじわりと迫ってきたかと思えば、再び自爆。そして、マジックを順調に減らし、今日という日を迎えた。

今日のゲームは今シーズンのセントラルリーグを象徴するようなゲームだったと思う。相手は常勝軍団だったはずの宿敵巨人。しかし、今や立場は完全に逆。世間の注目を集めたかったのか、星野仙一を監督に招聘する計画を企てるも失敗。あの時はマジで焦った。

先発の下柳は安心して見られる。昨日の井川とは大違い。っていうか井川は日本シリーズまでに髪を切ってこい。7回からは藤川球児、そしてジェフ・ウィリアムス 、最後は久保田智之とJFKがきっちりと抑えた。面白いくらい完璧に進む。最終回、久保田は1点を失ったのはご愛敬。

そして、最後は金本が外野フライを捕って岡田監督が宙に舞った。

甲子園で、しかも巨人を相手にして優勝を決めることができて、本当に良かった。

優勝監督インタビューはマイクの調子が悪く、岡田監督の声がよく聴き取れず、雰囲気ぶちこわし。中継を担当したよみうりテレビの陰謀なのかと思ってしまう。

岡田監督は手腕は確かだが、星野仙一と比較してカリスマ性はない。しかし、本来、監督は選手より目立ってはいけないものだ。選手中心に良くやってくれたと思う。

2年前は18年ぶりの優勝とあって、かなりの感激に酔いしれたが、この球団は常勝という言葉に無縁だったためか、強い阪神にどうも慣れない。もちろん、ダメ虎に逆戻りなんて二度とごめんだが。

いずれにせよ、今度こそ、今年こそ、20年ぶりの日本一を目指してほしい。

カツノリ、巨人へトレード

まあ、昨年を見てもいてもいなくても同じ選手だったので、特に感想はないね。巨人へ行ったところで、今まで以上の活躍をするとは思えないし。

今回の政治的判断が今年のオフでのドラフトにどう響くかとか書かれているけど知ったこっちゃない。

感想はそれだけ。

ありがとう、星野仙一。ありがとう、阪神タイガース。

ダイエーホークス日本一おめでとうございます。

甲子園で3連勝したとはいえ、この7連戦での阪神はシーズン前半の強さがありませんでした。ずっとダイエーに押されっぱなしだった気がします。甲子園で一回も負けなかっただけでもよしとします。_| ̄|○
岡田新監督が来年きっとこの雪辱を果たしてくれる事を信じます。

そして、現役最後の打席でホームランを打った広沢克実選手、長い間お疲れ様でした。

ありがとう、星野仙一。ありがとう、阪神タイガース。

ダイエーホークス日本一おめでとうございます。

甲子園で3連勝したとはいえ、この7連戦での阪神はシーズン前半の強さがありませんでした。ずっとダイエーに押されっぱなしだった気がします。甲子園で一回も負けなかっただけでもよしとします。_| ̄|○

岡田新監督が来年きっとこの雪辱を果たしてくれる事を信じます

そして、現役最後の打席でホームランを打った広沢克実選手、長い間お疲れ様でした。

星野仙一今期限りで退任

第一報が流れたのは昨日AM1:00前くらいだったか・・・。

最初に見た記事はなぜか2年前の中日退団のもの。連邦のゲットニュースがいかれただけかと思ったが、どうやら真実らしい。
朝になって、フライデーのすっぱ抜きが発覚のきっかけだったことがわかった。なぜシリーズ直前のこの時期にスクープで報道する必要があるのか?講談社は確か週刊現代だったと思うが、以前にも日ハムが首位争いしている最中に上田監督(当時)の妻の宗教問題を記事にして休養に追いやってチームを混乱させ、パ・リーグを台無しにした過去がある。事実を知っていても時期が来るまであえて報道しないという事はできなかったのだろうか。世間の空気を読めないな、この出版社は。結局、売りたいだけだろ。酒鬼薔薇の写真を載せて少年法に立ち向かっているのに「売りたいだけ」と非難された新潮社とはそこが違う。

仙ちゃんご本人の健康問題により今期限りでやめる可能性があることは、リーグ制覇翌日の日刊ゲンダイにも書いてあった。他紙が(夕刊フジを含めて)優勝絶賛記事で埋め尽くされる中、1社だけ辛口な記事を書いていて頭にきたものだ。

健康問題なら仕方がない。ただ、明らかになるタイミングが最悪だった。

来年は岡田か・・・。横浜のごとく優勝がまた遠ざかる事態になりダメ虎に戻る事、それだけは避けなければならない。だから、日本一になって頂点を極めてGMになって今後も阪神に残ってほしい。今はそれしか言えません。

祝・ありがとう!阪神優勝!

今日ほど阪神ファンでよかったと思った日はなかった。18年。長かった。といっても前回の1985年はまだ野球ファンに目覚める前だったためか記憶にない。仙ちゃんの優勝インタビューを見て涙が出た。

思えば、自分が阪神ファンになったのは1986年の春、父の仕事の都合により大阪に住むようになってからである。当時は、前年の阪神優勝の余韻を十分に引きずっていた。その中で阪神ファンになったのは自然な成り行きだったのか、そう、気づいたら阪神ファンになっていたのだ。しかし、自分が阪神ファンになった1986年以降、今日に至るまで18年間優勝から見放されていた。1992年、優勝に近づいた事もあったが、そのあとは最下位が定位置になっていた。1999年、監督が野村克也になって一時的にではあるが阪神ブームが巻き起こった。あの当時、神宮球場でバイトしていた直木35の協力により神宮球場の阪神-ヤクルト戦を観戦に出かけたのが昨日の事のように思い出される。あの時は阪神が勝った。

話は前後するが、甲子園球場に足を運んだのは一度だけ。1986年のいつ頃だったのであろうか。大洋-阪神戦で1-2で阪神が勝った。勝利投手はキーオだったことは覚えている。

2001年12月6日、野村克也が妻の逮捕によって監督を辞任したとき、日記に阪神ファンをやめたいと思ったと漏らしている。でも、阪神ファンをやめる事はできなかった。そして、やめなくてよかった。星野仙一が阪神の監督になったとき、ノムさんで散々がっかりさせられていたためか、あまり大きな期待は抱いていなかったと思う。昨年の5月までの快進撃の渦中においても「どうせいつもの事だから・・・」と思って期待しなかった。今年も6月を終えるまでは完全に信じられなかった。でも、虎戦士達はよく乗り越えてくれた。9回に6点差を追いつかれたものの引き分けに持ち込んだ4月の巨人戦。5月のバックスクリーン3連発。7月のマジック点灯、8月の死のロード、優勝直前のもたもた、そして、今日、本拠地甲子園で決めてくれた。ごめん。あまり文章をまとめられない。これ以上の喜びはないだろう。

さあ、次は日本シリーズだ!!!期待してまっせ!!

最後に。9月13日、仙ちゃんのお母様がご逝去されていたそうです。ご冥福をお祈りします。

祝・ありがとう!阪神優勝(C)

18年。長かった。といっても前回の1985年はまだ野球ファンに目覚める前だったためか記憶にない。仙ちゃんの優勝インタビューを見て涙が出た。思えば、自分が阪神ファンになったのは1986年の春、父の仕事の都合により大阪に住むようになってからである。当時は、前年の阪神優勝の余韻を十分に引きずっていた。その中で阪神ファンになったのは自然な成り行きだったのか、そう、気づいたら阪神ファンになっていたのだ。しかし、自分が阪神ファンになった1986年以降、今日に至るまで18年間優勝から見放されていた。1992年、優勝に近づいた事もあったが、そのあとは最下位が定位置になっていた。1999年、監督が野村克也になって一時的にではあるが阪神ブームが巻き起こった。あの当時、神宮球場でバイトしていた直木35の協力により神宮球場の阪神-ヤクルト戦を観戦に出かけたのが昨日の事のように思い出される。あの時は阪神が勝った。話は前後するが、甲子園球場に足を運んだのは一度だけ。1986年のいつ頃だったのであろうか。大洋-阪神戦で1-2で阪神が勝った。勝利投手はキーオだったことは覚えている。

2001年12月6日、野村克也が妻の逮捕によって監督を辞任したとき、日記に阪神ファンをやめたいと思ったと漏らしている。でも、阪神ファンをやめる事はできなかった。そして、やめなくてよかった。星野仙一が阪神の監督になったとき、ノムさんで散々がっかりさせられていたためか、あまり大きな期待は抱いていなかったと思う。昨年の5月までの快進撃の渦中においても「どうせいつもの事だから・・・」と思って期待しなかった。今年も6月を終えるまでは完全に信じられなかった。でも、虎戦士達はよく乗り越えてくれた。7月のマジック点灯、8月の死のロード、優勝直前のもたもた、そして、今日、本拠地甲子園で決めてくれた。ごめん。あまり文章をまとめられない。これ以上の喜びはないだろう。

さあ、次は日本シリーズだ!!!期待してるぞ!!

(2003.9.16追記)
9月13日、仙ちゃんのお母様がご逝去されていたそうです。謹んでご冥福をお祈りします。

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