ドラ・ハッ・パーよ永遠に。
2024年はシンエイ動画の藤子アニメで主要キャラクターを務めた声優が多くお亡くなりになった年だった。
5月20日 増山江威子さん(怪子役、パー子役、U子役)
6月19日 三輪勝恵さん(ヒロシ役、パーマン役、正ちゃん役)
7月12日 小原乃梨子さん(のび太役)
9月29日 大山のぶ代さん(ドラえもん役)
11月18日 堀絢子さん(新オバQのQ太郎役、ハットリくん役、チンプイ役)
訃報が発表される度にショックと寂しさが頭を駆け巡った。
大山のぶ代さんに関しては数年前から心の準備と覚悟はしていたものの、三輪勝恵さんは今年初頭より藤子・F・不二雄ミュージアムで上映されている新作のアフレコ写真で元気はお姿を見せていただけにショックを受けたのと、何より12月に発表された堀絢子さんの訃報にはとどめをさされた。本放送から30年以上が経つ作品が多いとは言え、よりによって今年?の気持ちである。
ドラえもん、ハットリくん、パーマンは同時期に放送されていた1983年から1985年にかけては「ドラ・ハッ・パー」のキャッチフレーズが使われ3キャラクター勢揃いを目にする機会が多かった。スペシャル特番や、映画ドラえもんと映画ハットリくん+パーマンでは作品の枠を超え勢揃いしていた。
自分は幼少期にテレビ朝日で放送されたシンエイ動画の藤子アニメを観て育った。物心ついた頃、『忍者ハットリくん』は月曜から土曜にかけての平日は夕方、日曜は朝と毎日放送されていた。しばらくしてハットリくんは月曜19時の週1放送になり後枠で『パーマン』が月曜から土曜と日曜の毎日放送された。いずれもオープニング映像の冒頭で「藤子不二雄劇場」と表示され、藤子不二雄先生の名前は子供心に強く印象づけられたものだ。初めて覚えた漢字は『藤子不二雄』だったかもしれない。この頃はまだ二人で一人の漫画家・藤子不二雄。F先生とA先生が独立されるのはもう少し後。当時の自分にはお二人がどの作品を描いていたなんて考えた事も無くて、あくまで二人で一人の漫画家「藤子不二雄」先生の作品として藤子アニメを楽しみに観ていた。1985年4月からの毎日放送の藤子不二雄劇場は『オバケのQ太郎』になり、ハットリくんとパーマンは火曜19時から藤子アニメを1時間枠で放送された『藤子不二雄ワイド』を構成する3作品の2本として、残りの1本である『プロゴルファー猿』と共に放送された。
あれから約40年。F先生とA先生が独立された後、各々が執筆された作品と一部の合作の漫画に関しては大部分の作品がとりあえず読める状況にはなったものの、藤子不二雄名義ならではのアニメ映像は独立後の視聴は著しく困難になった。『オバケのQ太郎』のテレビアニメは3作目は再放送の機会があったものの、1作目と2作目は配信すらされていない。
テレビ朝日にしてみれば『ドラえもん』は言わずもがな、『忍者ハットリくん』は6年以上放送され、『パーマン』も4年以上放送された。1980年代初頭から中盤までのテレビ朝日を支えた代表的な番組はこの3作品であるとも言えるだろう。
今年、三輪勝恵さんと堀絢子さんが亡くなった事で『映画忍者ハットリくん+パーマン』の追悼放送をテレ朝チャンネル辺りでしてほしかったところだが、前述の複雑な事情があるのか、風化してしまったのか、放送される事は無かったし、堀絢子さんが亡くなった際にドラ・ハッ・パーに触れた報道があっただろうか。
過去帳入りし語れる人間が少ない状況は好ましいことでは無い。いつの日か、合作の諸問題が解決され、映画ハットリくん+パーマンやドラ・ハッ・パーやその他の藤子不二雄アニメの映像が日の目を見る日が来ることを願ってやまない。
期待を込めて、ドラ・ハッ・パーよ永遠に。
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