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藤子・ドラえもん関連

ドラ・ハッ・パーよ永遠に。

2024年はシンエイ動画の藤子アニメで主要キャラクターを務めた声優が多くお亡くなりになった年だった。

5月20日 増山江威子さん(怪子役、パー子役、U子役)
6月19日 三輪勝恵さん(ヒロシ役、パーマン役、正ちゃん役)
7月12日 小原乃梨子さん(のび太役)
9月29日 大山のぶ代さん(ドラえもん役)
11月18日 堀絢子さん(新オバQのQ太郎役、ハットリくん役、チンプイ役)

訃報が発表される度にショックと寂しさが頭を駆け巡った。

大山のぶ代さんに関しては数年前から心の準備と覚悟はしていたものの、三輪勝恵さんは今年初頭より藤子・F・不二雄ミュージアムで上映されている新作のアフレコ写真で元気はお姿を見せていただけにショックを受けたのと、何より12月に発表された堀絢子さんの訃報にはとどめをさされた。本放送から30年以上が経つ作品が多いとは言え、よりによって今年?の気持ちである。

ドラえもん、ハットリくん、パーマンは同時期に放送されていた1983年から1985年にかけては「ドラ・ハッ・パー」のキャッチフレーズが使われ3キャラクター勢揃いを目にする機会が多かった。スペシャル特番や、映画ドラえもんと映画ハットリくん+パーマンでは作品の枠を超え勢揃いしていた。

自分は幼少期にテレビ朝日で放送されたシンエイ動画の藤子アニメを観て育った。物心ついた頃、『忍者ハットリくん』は月曜から土曜にかけての平日は夕方、日曜は朝と毎日放送されていた。しばらくしてハットリくんは月曜19時の週1放送になり後枠で『パーマン』が月曜から土曜と日曜の毎日放送された。いずれもオープニング映像の冒頭で「藤子不二雄劇場」と表示され、藤子不二雄先生の名前は子供心に強く印象づけられたものだ。初めて覚えた漢字は『藤子不二雄』だったかもしれない。この頃はまだ二人で一人の漫画家・藤子不二雄。F先生とA先生が独立されるのはもう少し後。当時の自分にはお二人がどの作品を描いていたなんて考えた事も無くて、あくまで二人で一人の漫画家「藤子不二雄」先生の作品として藤子アニメを楽しみに観ていた。1985年4月からの毎日放送の藤子不二雄劇場は『オバケのQ太郎』になり、ハットリくんとパーマンは火曜19時から藤子アニメを1時間枠で放送された『藤子不二雄ワイド』を構成する3作品の2本として、残りの1本である『プロゴルファー猿』と共に放送された。

あれから約40年。F先生とA先生が独立された後、各々が執筆された作品と一部の合作の漫画に関しては大部分の作品がとりあえず読める状況にはなったものの、藤子不二雄名義ならではのアニメ映像は独立後の視聴は著しく困難になった。『オバケのQ太郎』のテレビアニメは3作目は再放送の機会があったものの、1作目と2作目は配信すらされていない。

テレビ朝日にしてみれば『ドラえもん』は言わずもがな、『忍者ハットリくん』は6年以上放送され、『パーマン』も4年以上放送された。1980年代初頭から中盤までのテレビ朝日を支えた代表的な番組はこの3作品であるとも言えるだろう。

今年、三輪勝恵さんと堀絢子さんが亡くなった事で『映画忍者ハットリくん+パーマン』の追悼放送をテレ朝チャンネル辺りでしてほしかったところだが、前述の複雑な事情があるのか、風化してしまったのか、放送される事は無かったし、堀絢子さんが亡くなった際にドラ・ハッ・パーに触れた報道があっただろうか。

過去帳入りし語れる人間が少ない状況は好ましいことでは無い。いつの日か、合作の諸問題が解決され、映画ハットリくん+パーマンやドラ・ハッ・パーやその他の藤子不二雄アニメの映像が日の目を見る日が来ることを願ってやまない。

期待を込めて、ドラ・ハッ・パーよ永遠に。

東京タワー「藤子・F・不二雄展」ドラえもん80体

2013年7月19日の開催初日に撮影。80体との事だったが、帰宅後数えてみたら78体しか無い。その後、知人より展望台にも設置されていたとの話を耳にし、8月27日再訪問。大展望台2Fと1Fに2体ずつ確認。大展望台へ登る前に入口付近に2体確認済なのでこれで84体。あれ?

ドラえもん80体

公式サイト:生誕80周年記念「藤子・F・不二雄展」
チケットはローチケにてこちらから。(現地でも購入できます。)

映画「ドラえもん のび太のひみつ道具博物館」感想(ネタバレ) 感想編

と言う訳で葛藤という名の言い訳述べた所で、映画の感想行きます。

最初にお断りしておく。鑑賞直後に取ったメモと記憶を頼りに書いたが、鑑賞から約2週間経過しており、記憶違いがある可能性がある点はご容赦を。また、他の人の感想に影響されないように、あえて全く読まないに等しい状態で書いた。TwitterのTLを避けるのはなかなか大変だったがなんとか回避。本感想の公開をもって、他の人の感想を読むのも解禁する。

結論から述べると「面白かった」。そりゃ気になる点はいっぱいある。一方で、賛否両論が極端に出そうな映画だと感じた。本作におけるひみつ道具は、これまでの定義を覆すような新解釈で描いているので、その部分が認められない場合は映画そのものに対して全否定的になるかなとは思う。

良かった点
・とにかく情報量がすごい
・台詞の一つ一つが聞き逃せない
・道具がスッポンで使えないのは巧い
・しずちゃんのパンツ見て赤面するドラえもん

情報量の凄さに関しては1回観ただけで満たされず、その場の勢いで後の回のチケットを買い2回連続で観たくらい。時間と予算と優先度との兼ね合いで自分の今回の鑑賞は2回に留めるが、何回もリピート鑑賞する方の気持ちは理解できる。とにかく映画のあちらこちらにちりばめられた小ネタの数が凄すぎる。1、2回の鑑賞では全て把握するのは不可能。何度もリピートすると飽きる可能性もあるがその可能性は稀有に感じるような面白さは保っているからこそ成せる。また、ドラえもんの鈴の代用品がいつの間にか変化していたり、小ネタも凝っていた。

本作は一応ミステリである故に台詞の一つ一つが聞き逃せない。初回鑑賞時、怪盗DXの正体は自分も間違えた。ジャイスネと同じ視点になっていた。観客にそう思わせる演出になっていたという事だ。映画は子供には少し難しいくらいがちょうど良いと思った。
しずちゃんのパンツ見て赤面するドラえもんに関しては女性監督ならではという所だろう。

悪かった・いまいちだった点
・ゲストキャラとの別れ無し
・マスタード警部が正直電波を使用した事
・鈴を巡るドラえもんとのび太のエピソード

残念だったのはゲストキャラとの別れが全く描かれなかった事。ドラのびの友情を最優先にしたとしても全く描かなかったのは残念。のび太の良さを認識されるためには別のやり方があったかもしれないし、このエピソードを変えなかったとしてもクルト達との別れの場面は描いてほしかった。

マスタード警部が正直電波を使用した事については、「最初から使えよ」と。突っ込んだ時点で負けのような気もするし他にもありそうだからこの程度にしておく。警察に正直電波を使う条件があるのかもしれないとか想像する事は可能だ。

あと、この映画は自分に取って面白いと感じたのは確かだが、泣く映画では無かった。多くの方々が泣いたとして挙げていたのはドラえもんの鈴を巡るエピソードなのだろうか。他に思いつかないし、このエピソードに関しては全く泣けなかった。後に述べるが、自分の苦手な渡辺歩的なものを感じてしまったので。このエピソードを入れた事によって、後年、「おまえのものはおれのもの」のように藤子F氏が考えたかのように拡散して広まる恐れはありうる。ただ、このエピソードで実際に感動して泣いた方々が多いのは事実であり、芝山監督オリジナル作品の頃に同時上映で渡辺歩氏が定着させた感動分野の市場は成立している訳でそれが楽しみな大人の観客は多いのである。

気になった点
・クルトやジンジャーの両親の存在
・クルトへの自己紹介で「俺はジャイアン」
・ドラミの使い方
・鈴に関して「何年も前から壊れている」の台詞

クルトやジンジャーの両親が関係も含めて描かれなかったのはちょっと引っかかった。F氏原作映画でも家族関係が不明なゲストキャラはいたけど。もしかしたら尺の関係で削られた可能性はある。また両親や博士の関係や行動について考察する楽しみも産んだかもしれない。

自己紹介でジャイアンと言った為かクルトが持っていた現在位置表示の機械にも「ジャイアン」と表示されていた事に笑ってしまった。せめて「俺は剛田武、普段はジャイアンと呼ばれているのでジャイアンと呼んでくれ」だった方が良かったかも。

ドラミの使い方に関しては、もうそろそろ出さない決断を下しても良いと思うが。複数の時間軸を同時進行で描くとどうしても無理が出てくる。

鈴に関して、「アニマル惑星」においてネコあつめすずは小型カメラと交換されていたことが判明するが、わさドラになった時点でリセットされているからこの映画においては気にする必要は無いと思っている。ただ、将来的にアニマル惑星をリメイクする場合は今回のエピソードが入ってしまうと改変もしくはスルーされるだろう。とはいえアニマル惑星リメイクの道を絶たれたとまでは言えない。


F氏亡き後の芝山監督作品はF氏原作作品的なものを求めてそれが最後まで上手く行っていなかったように思える。もっとも、当時の当時の自分は藤子F的映画を求めていたのも事実であり、毎年、忠実度で評価していたのだから、別に芝山監督を責めようとは思わない。このたび、映画ドラえもんの累計入場者数が1億人を突破したとのニュースがあった。これも芝山監督を含め、F氏亡き後も映画を作り続けてきた全ての制作スタッフの積み重ねなのだから。

本作では、そのF氏原作的なものを切り捨て、ある意味方倉陽二のドラえもん百科的な、同人的な方向で描いた事が成功したのではなかろうか。一方で、ドラえもんの鈴のエピソードには、渡辺歩氏は本作にはノータッチであるが、渡辺歩的なものを感じた。

いずれにせよ今回の映画はこれだけ考えたり楽しめる余地があるのだ。マンネリ化した大長編に対するF氏の示した答えが銀河超特急と感じたように、今回の映画には感じた。これだけ多くの藤子ファンが世代を超えてリピート鑑賞に熱心になるのはオリジナル作品では初めてではないか。

また、本作は大山ドラでは絶対に有り得ない映画である。大山時代だと大山のぶ代の独断により「バカだなあ」「きみはじつにばかだな」はアフレコ段階で直されてしまうだろうから・・・。

本作は藤子F氏亡きあとの原作無しの完全オリジナル映画として何を求めるのかに対する、一つの答えだったと言える。オリジナルストーリーの着地点としてこれはこれでアリだったけど、今後はどうするか。来年は大魔境リメイクで間違いないだろうから、再来年以降のオリジナル映画に真価が問われる。

その映画を自分は観に行くか?今回と同じく公開後の周囲の状況を伺いながらになるだろう。少なくとも全く観る予定が無い状態にはならないと思う。

映画「ドラえもん のび太のひみつ道具博物館」感想(ネタバレ) 葛藤編

先日、「映画ドラえもんのび太のひみつ道具博物館」を観てきた。鑑賞予定は全く無かったのだが観に行ってきた。以下、観に行くまでの葛藤が延々と書かれるので、感想は別エントリに分けた。

感想のエントリはこちら

冒頭に記したように、当初、鑑賞予定は全く無かった。たとえ評判が良かったとしても関係なかった。藤子・F・不二雄先生では無いオリジナル作品に対して何のために、何を求めて見に行くのが自分で分からなくなっていたから。この模索は継続中ではあるのだが。

話は大山ドラ時代に遡る。当時、ようやくオールナイトに行ける年になったが、既にF先生はこの世にいなく、新作映画はオリジナル作品だった。オールナイトに行く目的は新作映画の鑑賞は二の次どことか4番目、5番目くらいで、旧作映画の鑑賞や監督・声優を生で観られること、多くの藤子ファンに会える事の比重が高くなっていた。制作スタッフ、当時オールナイトに行きたくても行けなかった若いファン等多くの方々には本当に失礼な話ではあるのだが。

そして、わさドラになり、映画は過去のリメイクになったがオールナイトは無くなった。恐竜2006の頃こそ舞台挨拶を観に行ったが、翌年は既に自分のテンションは落ちていた。そしてわさドラでも映画にオリジナル作品が登場する事となった時、映画館に足を運ぶのも億劫になってしまった。そんな中でオールナイトが復活する事となった。監督・スタッフの話が直接聞けるのであればオリジナル作品であってもまだ観に行けると思ったものの、オールナイト復活を知ったのが直前であり都合が付かず。ようやく参加できるように予定を開けていたら開かれなくなっていった。今に至るまで復活していない。

そういう訳で、自分の中で自然と、映画ドラえもんに足を運ぶ条件は、F先生原作であること、もしくはオールナイトという図式が勝手に出来上がっていたのであった。だから、今年も行く気は無かったのだ。

しかし、公開日を過ぎると、年季の入った藤子ファンの多くが絶賛している事と、リピート鑑賞の多さが気になった。最終的に決め手になったのは連日のようにTLで高評価の声を目にする事が重圧になっていった事をここに告白しておく。

感想編へ続く。

氷見巡礼

2012/10/14 氷見巡礼

お墓参り

今年もあの日がやってきた。

1996年9月23日、藤子・F・不二雄こと藤本弘氏死去。あの日から13年。

以前から訪れたいとは思いつつもなかなか機会がなかったのだが、ふとしたきっかけで直前に知り合った藤子ファンの日々のとむさんのお誘いも後押しし、本日、ついにお墓参りに行った次第である。

博士のイチゴな愛情の大正ロマ子さんも合流し藤子F氏のお墓へと向かっていたのだが、なかなか見つからず、ようやくたどり着いた藤本家のお墓、他のお墓と比較して特別に扱われている事もなく、目立たない場所にひっそりとあった。偶然にも数人のドラえもん声優の方々もいらしており、その方々のおかげで見つけることができたのであった。

また、我々が持参していたマッチの火がなかなか付かず、水田わさびさんからライターをお借りする事になった。水田さんを始め声優の皆様、ありがとうございました。本当に助かりました。

線香を供えた後、短い時間ながらも色々な事が蘇り、そして祈った。今年ついにあなたの全集が発売されたのです。初めて参ることができましたが、良い報告をする事ができました。

全集がきっかけとなり、新規の藤子漫画ファンも増えますように。

お墓参りを終えた後は、近場のファミレスにてミニオフ会。とむさんとはすぐに打ち解けた。まだお若いにも関わらず原作漫画の知識はA氏、F氏関係なく広くそして、深いことに驚く。さらに、多趣味。逆にこちらが圧倒されてしまった。一方で自然消滅してしまった藤子不二雄atRANDOMをご存じでない事に時の流れを感じた。とりあえず、Internet Archive を駆使すれば今でも何とか閲覧は可能である事は伝えておいた。

他にも色々な話をした。先日亡くなったあるさんことあるばたいんさんの思い出話もたくさんした。時間はあっという間に経過し、続いて中野のまんだらけへ。恥ずかしながら行ったのは実は初めてw そこでも時間の経過は早く、気づいたら空は暗くなっていた。

もっと話したいことはあったが、翌日の事も考え、お開き。ここ数年は様々な事情が重なり藤子熱は冷める一方であったが、F全集発刊と共に再び灯った灯が一段と明るくなるのを感じた。

ドラえもん誕生日の日に・・・・・・

今日はドラえもんの誕生日。Googleロゴもなんと特別バージョンに。

しかし・・・、よりによってこの日にこんな悲しい事を知ることになるなんて・・・・・・

先ほど、「あるばたいん」さんのお兄様より、連絡を頂きました。 八月三十一日の夜に、お亡くなりになりました。35歳の若さです。 (たかはたゆうさく さんのブログ高畑★SAN 魔美的 偶然日記より)

あるばたいんさんはインターネット黎明期の1996年から藤子アニメサイトを開設されていた。そのサイトはやがて「藤子アニメだいすき!チン★プイ」となり、現在は独自ドメインも取得され藤子アニメだいすき!として存続している他、かつてはたかはたゆうさく さんと共にエスパー魔美DVD化署名運動の先頭にも立っておられた。

我が家にインターネット接続環境が導入されたのは1996年の暮れであったが、その直後に「藤子アニメだいすき!チン★プイ」を見つけ、今まで知らなかった藤子アニメ情報やチンプイの魅力を知ることになった。特にチンプイに関しての情熱度はものすごく、コンテンツの充実度は群を抜いていた。Wikipediaなんて存在しなかったこの時代。このサイトとの出会いが自分が藤子作品との関わり方を変えるきっかけの一つになったと言っても過言ではない。そしてこのサイトをきっかけに他の藤子サイトもよく見るようになり、やがては掲示板の書き込み、オフ会への参加へと繋がっていった。しかし、あるばたいんさんと直接お会いすることになるのはしばらく後のことになる。

2005年夏にドラえもんステージイベントにてあるばたいんさんとニアミスしたものの、当時はオフラインでお会いしたことは無かったため、お互いに気づかず。そして2005年暮れ、冬コミ後のドラちゃんのおへやオフ会にて初めてあるばたいんさんにお会いすることができた。その後は、夏と冬の年2回はオフ会の度に顔を合わせ交流を深めた。ドラえもん同好会のオフ会や、ネオユートピアの上映会にもお誘いして参加した事もあった。また、お互いにSoftBankケータイユーザーということもあり、ケータイ談義でも盛り上がった。

あるばいんさんはブログの更新を頻繁にされていた事から、あるばたいんさんのブログを見るのも楽しみだった。ところが6月以降、ブログの更新が突然ストップしてしまう。藤子・F・不二雄大全集刊行開始の際に久々に更新されたが、刊行開始の喜びと共に、ブログ更新休止宣言もなされていた。

先月、オフ会のお誘いメールを出した際には、「今回は不参加」との返信をいただいていたのだが、その時は帰省の為と伺っていたので、まさかそれが最期のやりとりになるなんて思いもしなかった。

更新休止宣言の後も、ブログタイトルの下に「『藤子・F・不二雄 大全集』ドラえもん(2)エスパー魔美(1)キテレツ大百科(1)発売中!」の文面があることから、本当に、亡くなる直前まで、更新の意欲を見せていたのであろう(※この3冊の発売日は2009/08/25)。今となっては、最後のエントリの書き出し、「小学館『藤子・F・不二雄大全集』がめでたく発売されました!初めて読める話がまだまだこんなにある、なんというか生きる希望が沸いてきす。」が虚しい・・・・・・。

あるばたいんさんはドラえもんの誕生日には必ずブログを更新されていた。

・2004年
ドラえもん誕生日おめでとう!

・2005年
ドラえもん誕生日おめでとう!(05年版)

・2006年
ドラえもん誕生日おめでとう!’06

・2007年
ドラえもん誕生日おめでとう!’07

・2008年
ドラえもん誕生日おめでとう!'08

でも、今年は、いやもう二度とドラえもんの誕生日にあるばたいんさんのブログが更新される事は無い。そのことに気づいてから、何とも言いようのない悲しみと寂しさがわいてきている・・・。あるばたいんさんのブログもいずれは見られなくなってしまうのだろう・・・。

第一報を聴いた直後は何が何だか分からなかったのだが、少しずつ、あるばたいんさんが残した物の大きさについて認識し始めている。

さようなら、あるばたいんさん。どうか天国でごゆっくりお休みください・・・。

藤子オフ会2009夏

今年の夏も恒例のオフ会を"開催"した。いつもはドラちゃんのおへや&はなバルーンblogのオフ会という形で行われているのであるが、今回は都合により私が幹事を務めることになったのである。

二次会のカラオケの場所は最初から決まっていたようなもので苦労はなかった。だが、一次会の場所は、飲み放題ありかつできれば個室、それでいて予算を低めにという事で事前に何店か絞り込んだものの、動き始めたのが直前だった為、予約は無しでも大丈夫と判断したのであった。

さて、今回は私を含め総勢7名での開催となった。初参加の方もおり、しかもわざわざ遠方から来られたとの事で本当に嬉しい限りである。一次会のお店も決まり、そのお店に向かったものの、なかなかたどり着けないアクシデント発生。なんとか発見はできたが、参加者の方々には無駄な時間と労力を割く羽目になってしまった。原因は単なる事前の調査不足であり、今後の課題としたい。

一次会での話題はやはり藤子・F・不二雄大全集である。意外だったのは購入率で、未購入の理由としては予算上の問題が無いわけではないが、それよりも置き場所の問題を挙げる方が複数名おられた。これは購入済組にも共通する話題である。私も全集発売を前に、もう見ないであろうVHSテープを100本以上処分に踏み切っている。また、全巻購入予約者特典の〆切が今年の12月である事も影響しているようだ。購入済組からは概ね満足との声は共通していたのだが、やはり、パーマンにおける台詞の不満は聞かれた。一人の方が改訂前のてんコミ版パーマンを持参しており、見せていただいたのだが、改訂前の台詞は前後の文脈の流れから自然なケースが多かった。全集の巻末にせっかくおことわりを載せておきながら、本編は改訂後のまま出されてしまったのは何とも残念である。とはいえ、最近のオフ会は藤子話に関しては明るい話題が少なかっただけに、久々に明るい話題であった事は間違いがない。

二次会のカラオケはいつものように超マニアックな選曲が続くのかと思いきや、2曲目に「夢冒険」が入れられ参加者全員大爆笑であった。さすがにカラオケは配信停止にはならないか。「夢冒険」に触発され、勢いで「アクティブ・ハート」を入れてしまった。そんなこんなで2時間を予定していたカラオケは計3時間に延長してもあっという間に終わった。

参加者の皆様、お疲れ様でした。そしてありがとうございました。(2009.8.18記)

祝・藤子・F・不二雄大全集発売!刊行に至るまでの長い道のり

2009年7月24日、「藤子・F・不二雄大全集」の刊行が開始された。2002年6月の「藤子不二雄Aランド」刊行開始から7年が経過していた。藤子不二雄ランドが絶版になってから何年経ったであろう。有志が藤子漫画出版署名運動を始めてから何年経ったであろうか。

他にも振り返りたいことはたくさんあるし、全集自体の感想も語りたいのだが、この日に至るまでの道のりは本当に長いものであったので、その部分だけ簡単に記しておくことにする。

「藤子不二雄Aランド」完結の際に、このブログに載せた年表を再編集してみた。


2000.5.27 復刊ドットコムに「藤子不二雄ランド(第一期全301巻) 」が登録
2000.5.28 復刊ドットコムによる藤子不二雄ランド復刊交渉決定
2001.9.5 一部復刊の方向で検討しているとの報が伝えられる
2001.9.20 「藤子漫画復刊署名運動」の協力により、復刊後の需要に関してアンケート開始
2002.1.25 復刊ドットコムより、藤子不二雄A氏サイドから「藤子不二雄Aランド」として刊行の了解が出た事と藤子・F・不二雄氏サイドから現時点ではOKが出ないとの報告がなされる。
2002.4.4 「藤子不二雄Aランド」の定価、発売時期など重要事項について、正式に合意完了
2002 4.18 「藤子不二雄Aランド」刊行計画の詳細が正式決定
2002 5.15 「藤子不二雄Aランド」先行予約開始。中央公論新社に復刊の意志がないためブッキングから発売されることも発表
2002.6.29 「藤子不二雄Aランド」初回配本発売
2005.7.12 「藤子不二雄Aランド」全149巻完結
2009.3.7 「映画ドラえ本」にて、「藤子・F・不二雄大全集」2009年7月より刊行開始の情報が掲載
2009.5.14 復刊ドットコムにて「藤子・F・不二雄大全集」予約受付開始。他サイトも順次予約受付開始。
2009.7.24 「藤子・F・不二雄大全集」初回配本発売


入れるべき項目が欠けていたり余計な項目があるかもしれないが、やっつけ編集なのでご了承を。

そういれば過去に当ブログでこんな事を書いたのを思い出した。該当エントリの冒頭で触れたように、ココログのトラックバック企画で強引に書いた意味合いが強く、当時は全集が出るなんて夢のまた夢であった。当時どころか、2009年3月以前は藤子・F・不二雄全集を望むのは絶望的な状況だったのである。

実際に手に取ってみて、段々と実感がわいてきた。途中で終わることの無いように、最後まで刊行されることを祈ることにする。

関連エントリ
藤子不二雄Aランド全149巻ついに完結
小学館、藤子・F・不二雄大全集発刊を発表


映画「ドラえもん 新・のび太の宇宙開拓史」感想

昨年の「のび太と緑の巨人伝」は完全オリジナルなのでスルーしたが、今年は「のび太の宇宙開拓史」リメイクという事で足を運んだ。

「のび太の宇宙開拓史」(以下'81年版とする)には大まかに分けて原作漫画とアニメ映画、さらに細かく分けると合計4種類のバージョンがある。

1.原作漫画(コロコロコミック連載版)(1980~1981)
2.原作漫画(てんとう虫コミックス版)(初版1984)
3.映画(劇場公開版)(1981)
4.映画(セルビデオ・レンタルビデオ・DVD版)(時期不明)

私が鑑賞したことがあるのは2.と4.である。てんコミ版が出たのはコロコロ連載時から約3年後の事で、連載版より21ページ加筆されている。ビデオ版は映画公開版とEDの入り方が異なっている
(参考:はなバルーンblogドラちゃんのおへや

鑑賞順序はてんコミ→映画だったが、てんコミ加筆の事実を知ったのはかなり後のことであったため、映画の終盤の展開には物足りなさを感じたのを思い出す。以上の事を踏まえて、「新・のび太の宇宙開拓史」(以下'09年版とする)の感想を述べる。
(以下、ネタバレ注意)

今回は事前の予告および公開後のブログ等の感想をなるべく目にしない事を心がけた。最低限、'81年版の再確認はしておきたかったのだが、てんコミは段ボールのどこか、VHSテープはデッキをテレビに接続していない事もあって、結局、再確認をせずに観に行った。それでも、もう何年も自分の目に触れていないにも関わらず、ストーリーを細かく思い出せたのは、いかに'81年版が印象に残った作品だったかと言うこともできる。

本作を鑑賞する際には、どうしても'81年版との比較になってしまい、単独での評価が難しくなってしまうのはやむを得なかった。そして、鑑賞後は、その思いが余計に強くなった。鑑賞直後の感想としては、'81年版のキャラ配置は絶妙だった事に改めて気づかされたという事である。'81年版におけるキーマンはブブだと思った。

カモランの息子・ブブはロップルの妹クレムに好意を抱いていたが、ある日突然スーパーマン(ドラえもん&のび太)が現れてからというものの、クレムの関心はのび太に移る一方で嫉妬する。ある日、陰でクレムがスーパーマンとイチャイチャしている所を見ていたブブはゴスとメスに捕らえられ、ギラーミンにスーパーマンがどこから来ているのかを話してしまう。その事が元になりロップルの宇宙船に爆弾が仕掛けられる。のび太とドラえもんがガルタイト鉱業に向かった後、しずかとジャイアン・スネ夫もガルタイト鉱業に向かうのだが、コーヤコーヤ星に来てもどこにあるのか分からず困る。そこを案内したのはブブであった。

こんな重要なキャラクターが'09年版は登場するだけの空気キャラになってしまった。代わりに登場したオリジナルキャラ・モリーナのなんと印象の悪いキャラクターであることか。前半であんなに嫌っていたコーヤコーヤの人達を誤解していた理由が判明し心を入れ替えるまでの描写が弱すぎた。そして、最後に登場する生きていた父親。強引に入るのび太の「ここにももう一つの宇宙開拓史があったんだ」の余計な台詞。この余計なオリジナルキャラクターのせいで映画全体のバランスが崩れている。おかげでロップルが父の形見のショックガンを渡すシーンが弱くなってしまったし、カモラン・ブブどころかクレム、そしてロップルまで空気化していたような気がする。

また、改変された箇所の大半が不満点になった。

ドラのびがコーヤコーヤ星を初めて訪れた際に洪水に巻き込まれるが、その後に地中から家が地面に浮上してくる。'81年版では二度目に訪れた際に家が増えている事が描写されていたと記憶しているが、'09年版はいきなり何故かコーヤコーヤ星の大都会が描写されて違和感ありまくり。公開前に「オトナファミ」を読んで'09年版にトカイトカイ星が登場しない事を知ったときから嫌な予感はしていた。そもそも"トカイトカイ星"があって"コーヤコーヤ星"があるわけで、また、この何とも言えない語感が良かったのだ。

'81年版ではロップルの宇宙船とのび太の部屋の畳が離れかけた原因の一つとして、爆弾が連想されていた。しかし、'09年版は爆弾が仕掛けられるより前に空間が離れかけてしまう。一人でガルタイト鉱業に向かったロップルをドラのびが助けに行く際に'81年版にあった「すぐ行って帰ってくれば大丈夫」という台詞が無くなってしまった。

'09年版はドラミも登場するが、こちらも意味が無く空気キャラになっている。コーヤコーヤ星の事が何故ドラミにばれたら駄目なのか動機が弱すぎた。

'81年版の映画には無かったのび太とギラーミンとの対決シーンが今回は描かれたが、ギラーミンを倒したはずなのにあっさり復活してしまうのは拍子抜けであった。死んだ事を思わせる描写を避けたのであろうか。コア破壊装置から救われた原因がタイムふろしきでなくなっていたしね。'81年版原作漫画における、ドラえもんのポケットから間違って取り出されていたタイムふろしきがいつの間にか風で飛ばされコア破壊装置に被さっていた展開が一番好きだ。

あと、映画全体的に流れるテンポの悪さが気になった。緊迫感がちっとも伝わってこないのは何故だろう。'81年版からあまり改変されていないシーンも多いのだが、どうにも間の取り方が悪い。'81年版より強調された雪の花の使い方もあまり上手いとは言えない。私は「ワープ」という単語を'81年版を見て知ったのだが、今回の映画を見てきちんと意味を理解できた子供はどれくらいいるだろう。

最後に、毎回触れられずにはいられないことだが、藤子F氏没後待っていたように始まってしまった本職以外のキャストを起用する流れを断ち切ることは今回もできなかった。ロップル(CV:櫻井智)とチャミー(CV:佐久間レイ)に芸能人が起用されなかったのがせめてもの救いか。

ところで、エンディングを見てある事に驚愕。

モリーナ(10歳):堀江由衣

ほっちゃーん! ほ、ほーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!!

登場シーンがわずかだった為か、ダメ音感では気づかなかった。どうせなら全部由子にやらせれば良かったのに。こういう役は珍しいだけになおさら思ってしまう。調べてみたらドラ映画に出るのは2度目で「太陽王伝説」にもちょい役で出ていたようだがどんな映画だったか全く思い出せねーや。

そろそろ締めに入ろう。映画鑑賞中、のび太とギラーミンの対決するシーンで近くにいた幼女が「のび太頑張れー」と小声で言っていた。一方で、前半で明らかに制作側が笑いを求めている箇所において観客の子供達から全く笑い声が聞かれなかったのは気になる。'81年版を知らずにこの映画だけで見て楽しめたのであれば一時的には良いのかもしれないがそれでは寂しい。

この映画で思うのは、'81年版がストーリーのみならず世界観、人物設定でいかにバランスが取れていたのかという事に気づかされ、そこをむやみに弄ってしまうとバランスが崩れてしまう事の難しさであった。もし、81年版を未見の人が本作を見て不自然な箇所を感じたのであれば、それは'09年版における改編・追加シーンであろう。


個人的な主観での比較(コロコロ初出時の原作は未見のため除外)
原作漫画(てんコミ版)>>映画('81年版)>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>映画('09年版)

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