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鉄道

関東鉄道 水海道車両基地公開

2014.11.3 関東鉄道車両基地公開

のと鉄道訪問~花咲くいろは列車乗車

2012/10/14 のと鉄道

しなの鉄道 なつまちラッピング列車運行開始初日

小諸駅にてテープカット後、臨時快速列車なつまち にて 小諸-軽井沢 を往復。ドア脇のタペストリー、車内液晶モニタでの本編上映は初日のみ。

2012/08/04 しなの鉄道 なつまちラッピング列車初日

関連サイト
しなの鉄道株式会社
「あの夏で待ってる」公式ホームページ
​​​​なつまちおもてなしプロジェクト公式ホームページ

パワフル×スマイルちばフリーパス 小湊鉄道、いすみ鉄道、銚子電鉄

2011/08/30 パワフル×スマイルちばフリーパス 小湊鉄道、いすみ鉄道、銚子電鉄

けいおん!聖地・豊郷巡礼(1)

去る11月6日、滋賀県の豊郷小学校旧校舎を訪問してきた。けいおん!ファンとして前々から一度は行きたかった場所だったが、なかなか行ける機会に恵まれず。首都圏からは遠く離れていることと、スケジュール的に厳しかったが、日頃のストレス晴らしも兼ねて、思い切って行くことにした。事前にアベトンボへこの話を持って行ったところ、「おいらも行きてぇ」と言うことになり、二人で聖地・豊郷へ向かった。

さて、当日の朝、一眼レフカメラを持参し気合いの入ったアベトンボと合流し、一路、米原へ向かう。東京から東海道新幹線利用の場合、米原にはのぞみが止まらない為、乗り換えなしでひかりで行くか、のぞみで名古屋まで行きこだまに乗り換えるかの2通りが考えられるのだが、今回は後者の名古屋乗換を使った。土曜日午前中の東海道新幹線は空いていると予想していたのだが、全然そんな事はなく、指定席を取ろうにも窓際は全て埋まっており、3人掛けの中央と通路側で行くことになった。

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東京を発つこと約2時間。途中名古屋で乗り換えたこだまは700系。N700系の勢いは凄まじく、こだまも700系であった。米原駅着いた我々を出迎えた?のは、最近は滅多に見かけなくなった反転フラップ式発車時刻案内。懐かしい。

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米原駅ではプチ事件が発生。なんと、アベトンボが諸事情によりあまり現金を持ち合わせていなかった事が発覚したのだ。どうしようか考え込んでいるうちにおおはたさんと合流。実は、豊郷訪問に際して、おおはたさんにご相談メールを送った所、我々に同行してくださる事になったのだ。訪問済の方に同行していただけるのは非常に心強かった。さらに、後述するが、この日は豊郷訪問以外にもう一つ計画しており、そちらにもご同行していただける事になった。改めて、米原駅の周りにATMを探すが、コンビニも銀行も見当たらなかった。ちなみに、旅を終え調べてみたところ、滋賀銀行が駅からそれほど遠くない場所にあった事を知るのはまた別のお話である。

閑話休題、米原から豊郷までは近江鉄道に乗り換えて行く事になるのだが、近江鉄道の米原駅は非常に簡素な駅舎だった。JR駅舎の高架化が完了するまでの仮の駅舎との事だったが、それにしても・・・。

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近江鉄道は自転車持ち込みも可能のようで、駅には自転車用のスロープが用意されていた。なお、近江鉄道の電車は西武の中古車両である。2両編成のワンマンではあったが、時間帯を考えるとそこそこの乗車率はあった。

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我々の乗った電車は豊郷駅方面へは行かず、途中の高宮駅にて乗り換えが必要となるのだが、高宮発音が「た」にアクセントを置いていて余所者には妙な感じだ。高宮から別の電車に乗り換え2駅目が豊郷駅である。豊郷駅で電車から降りようとすると、あずにゃん柄のバッグを提げた同業者も見かけた。駅舎から出て、いきなり我々の目の前に見えてきたのは、「飛び出し注意」の看板。聖地に来たことをいきなり実感する。

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なお、豊郷駅前には滋賀銀行があり、アベトンボは無事お金を降ろすことができた。めでたしめでたし。

あまりにも前振りが長くなったので次回に続く。

関東鉄道 鉄道の日記念イベント


130円大回り

ある日、午前中と夜に用事が入り、午後に空き時間ができてしまった。予てから一度は決行したいと考えていた130円大回りの旅を行うことにした。空き時間が約6時間という事で、そこから逆算してルートを考案した。

東京→(山手線)→上野→(高崎線)→倉賀野→(八高線)→高麗川→(八高線)→拝島→(青梅線・中央快速線)→御茶ノ水

山手線 東京→上野 E231系
まずは東京駅からスタート。130円切符を購入して山手線に乗り、上野駅へ向かった。

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高崎線 上野→倉賀野 211系
高崎線はE231系より211系の方が多いようだ。せめてボックスシートの1000番台に乗りたかったが10両編成だった為、必然的に3000番台に乗る事に。2時間近くロングシートに乗る事になるが仕方がない。シートモケットは青系統に交換済だった。

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八高線 倉賀野→高麗川 キハ110
水戸線ルートと迷ったが非電化区間はぜひ入れたいと思っていた。ルート選定にあたっては八高線非電化区間の存在が大きかった。本数少ないからね。キハ110系は以前アベトンボと陸羽東線に乗って以来の乗車である。首都圏のローカル線ではあるが、乗客は多く3両編成なのも頷ける。車掌も乗っていた。

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八高線 高麗川→拝島 209系
川越線川越以西と八高線電化区間は様々な車両が走っているが、やってきたのは元りんかい線でJR東日本に移籍した209系3100番台。発車すると非電化区間とは段違いの速度を出す。当初は高麗川から川越を経由し埼京線で新宿へ向かうルートを考えていた。しかし、このルートでは一度通った大宮と赤羽を再度通ることになってしまい、大回り乗車が成立しない。再考した結果、八高線で八王子まで行き中央線に乗り換えるか、拝島で青梅線に乗り換え立川経由の中央線の2ルートが考えられたが、時間の関係上、後者の拝島乗り換えを選択した。

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青梅線・中央快速線 拝島→御茶ノ水
拝島駅は五日市線に加え西武拝島線も集まる大ターミナル。五日市線の電車もE233系であるが八高線と同じく1年を通じて半自動ドアとなっている。当駅から米軍横田基地へ延びる専用線も延びている関係なのか構内ではDE10も見かけた。いよいよ大回り乗車ラスト。運良く青梅特快がやってきた。近年高架化された区間を見てみたかったのだが、かなり疲れていたので寝てしまい確認できず。

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御茶ノ水では予想通り自動改札機が閉まった。2時間以上経過しているからであろう。有人改札で大回り乗車の趣旨を説明。駅員はあまり関わりたくなさそうに切符を受け取ったので説明する手間は省けたが、なんか後味悪い。とにかく疲れた。

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あの日から1日が経って

14日21:15からNHK総合で放送された「ドキュメントにっぽんの現場 寝台特急ラストラン~人生を運び続けた半世紀~」を家族で鑑賞する。父も母も学生時代に三段寝台は経験済でそれは狭かったとの事。母が大学時代に教授の付き添いで乗った寝台車は中央通路で寝台が線路方向にあったらしい。おそらくA寝台であろう。20系なのか10系なのかは分からないけど。番組を見て感極まった母は「こういう列車は残してほしかった」と感想を述べるも、「じゃあ結婚してから一度でも帰省にブルートレインを使ったか?もっと使っていれば無くならなかったんだ」とツっこんでしまった。前に書いたように、我が家の人間が帰省する際の手段は一に航空機、二に新幹線。夜行列車は選択肢にすらなっていなかった。二段寝台の24系25形が登場したのは1974年。その時点で、ブルートレインの先行きは見えていたのかもしれない。

それは置いておくとして、20系の狭い三段寝台に一度は乗ってみたかった。少なくとも1994年頃までは20系は臨時急行玄海として首都圏から博多まで走っていたのだ。乗車のチャンスは残されていた。積極的に乗り鉄をするようになったのはここ最近の事で、その頃には20系は既に無かった。

三段寝台自体は電車急行ではあるが大阪-新潟間の急行きたぐにでまだ乗れるし、JR東日本も臨時列車用に583系をまだ残している。乗車難易度でいうと、圧倒的に前者が低いが、ちょっと厳しい。

東京からブルートレインは消えたが、夜行寝台電車はまだ残っている。サンライズ瀬戸・出雲も先行きは決して明るいものではないので、できるだけ早い内に乗っておこうと思ったのであった。

番組自体の出来は非常に素晴らしく、最終上り列車のさよなら放送をオンエアしてくれたのは涙腺がゆるんだ。番組中で洗面所が故障して水が止まらなく場面があったが、あの洗面所は原型タイプであったのが目についた。製造後30年が経過し、更新工事も行われていない車体の老朽化が深刻であることを伺わせた。


ところで、富士・はやぶさ廃止報道を見てみると、「一斉にフラッシュがたかれ」という表現が目に付いた。最終列車出発直前の東京駅で係員が繰り返し注意喚起をしていたように、列車に向けてフラッシュを焚くのはマナー違反であるのは、鉄道ファンの間では常識となっていると思う。運転士の目くらましになってしまうからである。しかし、一般人の間ではその意識は残念ながら低いと言わざるを得ない。だからこそ、マスコミが先頭になって注意喚起をすべきであるはずなのだが、言葉狩りには厳しいくせに、そういう所は甘いのは腑に落ちない。

さらば東京駅発ブルートレイン

というわけで歴史の1ページが閉じられる瞬間をこの目で見るべく、東京駅に出向いた。

最終の富士・はやぶさ9001レ・9041レを東京から下関まで牽引するのはEF66 53号機。昨年9月、最初で最後の東海道ブルトレ乗車をした際にもお世話になった機関車である。そして富士の8号車には、その際に自分が乗車したオロネ15-3001が連結されていた。乗車した時は塗装が所々剥がれおち、哀れな姿であった。しかし、今日見た時は剥がれ落ちた箇所は塗り直され、ピカピカの状態だった。なんと今年の1月に全検を受けたようで、残りわずかの運転であるにも関わらず全検を通したJR九州にも感謝したい。

個人的な想いを述べておくと、引退は寂しいのは確かだが、一方で、こんな列車がよくぞ今まで走り続けていたと思うのも正直な感想なのは確かだ。両親の実家が福岡であるにも関わらず、この30年間で東海道ブルートレインを利用して帰省した回数はなんと0回。父親が若かりし頃は上京に夜行列車を使ったらしいのだが、結婚後は一回も使うことはなかった。だからこそ、廃止が内定していた昨年の内に、個人旅行ではあるが、最初で最後の旅として思い切って乗っておいたのは正解だったし、なぜ廃止になるのかも実際に乗ってみて実感できた。

国鉄運賃の度重なる値上げに分割民営化、格安航空会社の参入から始まった航空運賃の値下げ。速度どころか、いつの間にか料金面においても寝台特急は一番不利な移動手段になってしまった。北海道方面への寝台特急は、遅くても高くてもお金では買えない楽しさがまだ残っているかもしれないが、九州行き寝台特急はロビーカーも食堂車も消え、シャワールームもなく、洗面所も原型の車両が多かった。割引切符も九州発の往復切符は存在しても、その逆は無かった。国鉄分割民営化で九州ブルトレはJR4社を跨いで走ることになったが、弊害を悪い形で受けてしまったのが、この九州ブルトレであったような気がする。

でも、ここまで廃止されずに残してきたのであれば、どうせなら、せめて、九州新幹線が全通する2011年までは走り続けてほしかったとの思いも否定できなかったのも事実である。そして、新大阪発鹿児島中央行き新幹線に「はやぶさ」の名を冠してほしかった。残念ながら、どちらも叶うことはなかった。

新幹線0系引退から約3ヶ月。また一つ、国鉄が消えた。

Xデーまで10日を切った東京駅

東京発ブルートレインが姿を消すまでいよいよ10日を切った。東京駅10番線をはじめとしてコンコースにもポスターが貼られており、やはり一大事なのだとあらためて感じた。


大分・熊本方面表記もまもなく見納め


18時03分発 富士・はやぶさ号 大分・熊本


この位置に止まる寝台列車は既に「はやぶさ」だけ


駅のホームで見かけた便乗商法その1


駅のホームで見かけた便乗商法その2


駅のホームで見かけた便乗商法その3


という事で思わず買ってみた


富士とはやぶさ


お品書き
◆ベッタラ漬け
◆シューマイ
◆抹茶わらび餅
◆味噌カツ
◆豆腐と海草の揚げ煮
◆たこ焼き
◆有頭海老海老素揚
◆高菜炒め
◆からし蓮根
◆椎茸煮
◆玉子焼
◆菜の花お浸し
◆人参煮
◆富士・はやぶさご飯(黒米、カニフレーク、はやぶさ形人参)
※お品書きにある駅名とお料理は、産地表示を表すものではありません

まあ、発売はNREだし、仕方ない。