鉄道

あの日から1日が経って

14日21:15からNHK総合で放送された「ドキュメントにっぽんの現場 寝台特急ラストラン~人生を運び続けた半世紀~」を家族で鑑賞する。父も母も学生時代に三段寝台は経験済でそれは狭かったとの事。母が大学時代に教授の付き添いで乗った寝台車は中央通路で寝台が線路方向にあったらしい。おそらくA寝台であろう。20系なのか10系なのかは分からないけど。番組を見て感極まった母は「こういう列車は残してほしかった」と感想を述べるも、「じゃあ結婚してから一度でも帰省にブルートレインを使ったか?もっと使っていれば無くならなかったんだ」とツっこんでしまった。前に書いたように、我が家の人間が帰省する際の手段は一に航空機、二に新幹線。夜行列車は選択肢にすらなっていなかった。二段寝台の24系25形が登場したのは1974年。その時点で、ブルートレインの先行きは見えていたのかもしれない。

それは置いておくとして、20系の狭い三段寝台に一度は乗ってみたかった。少なくとも1994年頃までは20系は臨時急行玄海として首都圏から博多まで走っていたのだ。乗車のチャンスは残されていた。積極的に乗り鉄をするようになったのはここ最近の事で、その頃には20系は既に無かった。

三段寝台自体は電車急行ではあるが大阪-新潟間の急行きたぐにでまだ乗れるし、JR東日本も臨時列車用に583系をまだ残している。乗車難易度でいうと、圧倒的に前者が低いが、ちょっと厳しい。

東京からブルートレインは消えたが、夜行寝台電車はまだ残っている。サンライズ瀬戸・出雲も先行きは決して明るいものではないので、できるだけ早い内に乗っておこうと思ったのであった。

番組自体の出来は非常に素晴らしく、最終上り列車のさよなら放送をオンエアしてくれたのは涙腺がゆるんだ。番組中で洗面所が故障して水が止まらなく場面があったが、あの洗面所は原型タイプであったのが目についた。製造後30年が経過し、更新工事も行われていない車体の老朽化が深刻であることを伺わせた。


ところで、富士・はやぶさ廃止報道を見てみると、「一斉にフラッシュがたかれ」という表現が目に付いた。最終列車出発直前の東京駅で係員が繰り返し注意喚起をしていたように、列車に向けてフラッシュを焚くのはマナー違反であるのは、鉄道ファンの間では常識となっていると思う。運転士の目くらましになってしまうからである。しかし、一般人の間ではその意識は残念ながら低いと言わざるを得ない。だからこそ、マスコミが先頭になって注意喚起をすべきであるはずなのだが、言葉狩りには厳しいくせに、そういう所は甘いのは腑に落ちない。

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さらば東京駅発ブルートレイン

というわけで歴史の1ページが閉じられる瞬間をこの目で見るべく、東京駅に出向いた。

最終の富士・はやぶさ9001レ・9041レを東京から下関まで牽引するのはEF66 53号機。昨年9月、最初で最後の東海道ブルトレ乗車をした際にもお世話になった機関車である。そして富士の8号車には、その際に自分が乗車したオロネ15-3001が連結されていた。乗車した時は塗装が所々剥がれおち、哀れな姿であった。しかし、今日見た時は剥がれ落ちた箇所は塗り直され、ピカピカの状態だった。なんと今年の1月に全検を受けたようで、残りわずかの運転であるにも関わらず全検を通したJR九州にも感謝したい。

個人的な想いを述べておくと、引退は寂しいのは確かだが、一方で、こんな列車がよくぞ今まで走り続けていたと思うのも正直な感想なのは確かだ。両親の実家が福岡であるにも関わらず、この30年間で東海道ブルートレインを利用して帰省した回数はなんと0回。父親が若かりし頃は上京に夜行列車を使ったらしいのだが、結婚後は一回も使うことはなかった。だからこそ、廃止が内定していた昨年の内に、個人旅行ではあるが、最初で最後の旅として思い切って乗っておいたのは正解だったし、なぜ廃止になるのかも実際に乗ってみて実感できた。

国鉄運賃の度重なる値上げに分割民営化、格安航空会社の参入から始まった航空運賃の値下げ。速度どころか、いつの間にか料金面においても寝台特急は一番不利な移動手段になってしまった。北海道方面への寝台特急は、遅くても高くてもお金では買えない楽しさがまだ残っているかもしれないが、九州行き寝台特急はロビーカーも食堂車も消え、シャワールームもなく、洗面所も原型の車両が多かった。割引切符も九州発の往復切符は存在しても、その逆は無かった。国鉄分割民営化で九州ブルトレはJR4社を跨いで走ることになったが、弊害を悪い形で受けてしまったのが、この九州ブルトレであったような気がする。

でも、ここまで廃止されずに残してきたのであれば、どうせなら、せめて、九州新幹線が全通する2011年までは走り続けてほしかったとの思いも否定できなかったのも事実である。そして、新大阪発鹿児島中央行き新幹線に「はやぶさ」の名を冠してほしかった。残念ながら、どちらも叶うことはなかった。

新幹線0系引退から約3ヶ月。また一つ、国鉄が消えた。

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Xデーまで10日を切った東京駅

東京発ブルートレインが姿を消すまでいよいよ10日を切った。東京駅10番線をはじめとしてコンコースにもポスターが貼られており、やはり一大事なのだとあらためて感じた。


大分・熊本方面表記もまもなく見納め


18時03分発 富士・はやぶさ号 大分・熊本


この位置に止まる寝台列車は既に「はやぶさ」だけ


駅のホームで見かけた便乗商法その1


駅のホームで見かけた便乗商法その2


駅のホームで見かけた便乗商法その3


という事で思わず買ってみた


富士とはやぶさ


お品書き
◆ベッタラ漬け
◆シューマイ
◆抹茶わらび餅
◆味噌カツ
◆豆腐と海草の揚げ煮
◆たこ焼き
◆有頭海老海老素揚
◆高菜炒め
◆からし蓮根
◆椎茸煮
◆玉子焼
◆菜の花お浸し
◆人参煮
◆富士・はやぶさご飯(黒米、カニフレーク、はやぶさ形人参)
※お品書きにある駅名とお料理は、産地表示を表すものではありません

まあ、発売はNREだし、仕方ない。

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ブルトレ「富士」「はやぶさ」廃止正式発表

昨年11月、朝日新聞から2009年春ダイヤ改正で廃止となる事が報道された。それから約1年。本日ついにJR各社から来年3月での正式廃止が発表された。

朝日の報道の時点で先行きは見えていたからこそ、今年の9月下旬、九州からの復路に初めてブルートレインを選んだ訳だが、実際に乗ってみた感想は「廃止になって当然、むしろ今もこの状態で走り続けている事自体が奇跡」という厳しめの結論にならざるを得なかった。

運賃は飛行機や新幹線より高く、速度も飛行機や新幹線より圧倒的に遅い。それでいて車両は豪華でもレトロでもなく、国鉄時代から根本的な改善策がなされないまま走り続けてきた。北海道方面の夜行列車のようにくつろぐスペースもない。

成り行きでA個室(シングルDX)を利用したのだが、天井の一部はガムテープで補修してあったり、車体は所々ペンキが剥げ落ち、悲惨な状態だった。壁の温度計にはJNRマークが残っていた。これが昭和50年代国鉄で一番豪華だった部屋の成れの果てである。機関車も客車ももう限界だったと思う。

JRからは残そうとする意志すら感じられなかった。それが悪いことなのか決めつける事はできないけど、もう少し、何とかならなかったのかとは思う。

こんな時代だからこそ、時には多少お金を払っても、時間がかかっても、ずっと乗り続けていたい列車が、各方面に1本は存在してほしかった。

だからこそ、「寂しい」と言うよりは「残念」という思いがする。


博多にて


A個室オロネ15ですらこの有様


ガムテープで補修・・・

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新幹線0系の思い出

とうとうこの日がやってきた。

本日は0系が定期列車としての最終運転日である。来月走る臨時「ひかり」をもって、いよいよ新幹線から0系が完全に消えることになる。

今日は残念ながら現地まで赴くことはできなかったので、自分と0系との思い出について書いてみる。

2ヶ月前、親の実家に帰省した際、復路において、わざわざ0系に乗れるように行程を組んだ。ところが、博多駅で待ちかまえていたのは残念ながら100系K編成。予備車無しの3編成フル稼働状態では0系に100%乗れる事は保証されていなかった訳で、諦めるしかなかった。それに100系の余命もわずかであるし、100系自体、13年ぶりに乗った。

そもそも7年前の夏、乗り納め乗車の為、博多まで直行せずに小郡(現在の新山口)で「こだま」に乗り換えた事があった。乗車したのは窓下に白帯の入ったR編成。「ウエストひかり」から転用された車両であったが、結果的にその時が自分にとっての乗り納めとなったのである。


小郡にて


小倉にて

あれから7年。まさかさらに7年も走り続ける事になるとは正直予想していなかった。3世代後の500系ですら「こだま」転用8両化の為、廃車が始まっているというのに。0系で最後まで残った18両は主に1983年に製造された車両が多いが、既に25年も走り続けていたのである。

もう20年以上前の話になってしまうが、0系に乗った時の記憶は今でもほとんど残っていた。

小学生の頃、数年ほど大阪に住んでいたことがあった。話は前後するが、新幹線に初めて乗ったのは大阪に引っ越しする前。親の実家に帰省中、祖父に連れられ、博多から小郡まで片道乗車した。この時の記憶は無い。在来線で帰った復路は覚えているのに。記憶に残る一番古い乗車記録は、大阪に引っ越す際に東京から乗った時。乗車したのはグリーン車であり15形の1000番台だった事ははっきりと覚えている。その列車で初めて食堂車で食べる機会を得た。食べたのはカレーライス。子供には辛すぎた事も覚えているから、よほど辛かったのであろう。しかも、その列車、途中駅に爆弾が仕掛けられていたとの悪戯電話のせいで途中から徐行運転になり、新大阪にはかなり遅れて到着した。新大阪で反対側のホームに止まっていたのは、この時点で既にかなり数を減らしていたビュッフェ車35形であった。まだ小さかったのに、新幹線の形式を把握していたとは我ながらかわいくないガキだ。

閑話休題。大阪在住になった事で九州の親の実家との移動は、飛行機より新幹線を利用するようになった。当時は国鉄末期。分割民営化数日前に100系(X2編成)に初めて乗り、民営化後の帰路も100系(X4編成)で帰った。しかし、その後は0系利用ばかりになる。

1986年の大晦日。家族で帰省した際に乗ったのは臨時のひかり。12両のSorSK編成。乗車したのは大窓車でシルバーの転換クロスシート。転換式の座席に座ったのはおそらくこの時が初めてであろう。肘掛けに収納されたテーブルが壊れていて固定できなかった事を思い出す。復路は確か16両のHorNH編成で2000番台。FRP製の窓枠は飲料水を置くスペースがなかった。

その次は時期不詳だが、急遽帰省する用事ができた時。繁忙期だった為か、またまた臨時の「ひかり」。新大阪で入線してきた車両のモケットは茶系の縞々だった為、簡易リクライニングシートを期待した。ところが乗車してみると初期型転換クロスシートでモケットだけリクライニングシートと同じ柄に張り替えた座席であった。転換クロスシート時代の0系の写真は数多く見かけるが、このタイプの写真は目にしたことがない。なんだか騙された気分になったが、今から思えば貴重な経験だったのかも。この時の復路は大窓車ながらも簡リクに交換された車両。しかも3人がけで新大阪まで後ろ向きに座る羽目に。当時の簡リクシート装備車両は3人掛座席の方向転換ができず、車体中央を境に反対を向いていた。

その後は0系に乗った記憶は7年前の乗り納め乗車になってしまうので、乗車回数は述べ7回という事になる。7回それぞれが異なったタイプの車両であった事は貴重な経験である。欲を言えば、YorYK編成の2&2シートも一度は乗っておけば良かったと思う。

大阪から離れる時や修学旅行の時など、新幹線に乗る機会はちょくちょくあったが、100系利用が続くことになる。100系もX、G、Vには一通り乗る事が出来たのは恵まれていた。X、V両方の食堂車で食べる事もできた。その100系も二階建車両は既に無く、4両と6両に短縮されて細々と「こだま」で走るのみとなった。これとて九州新幹線全通時には消えゆく運命となろう。

0系に乗る機会を得たのはほんの数えるほどであったが、記憶は今でも鮮明に覚えている。現在の新幹線では味わえない0系の特徴は色々挙げられるだろうが、個人的には起動時の驚くほどの滑らかさを推したい。座席に座り発車を待っていると、いつの間にか動き出す。それほど0系の起動時の衝動は小さかった。本当にいつの間にかなのだ。あれほどの滑らかな起動は東北上越新幹線を含め味わったことはない。0系以外の新幹線車両は、いつ動き出したかはっきりとわかる。

あとは、走行時にパンタグラフから出る火花。大阪在住当時、名神高速道を利用して京都まで家族で出かける機会がちょくちょくあったのだが、東海道新幹線と平行・交差して走る箇所があった。そこで高速走行中の0系を目撃する事もあったのだが、パンタグラフから白っぽい火花を出しながら走っていた。現在は交流電化のき電方式がATになり、パンタグラフの数が減少した事もあった火花は見られなくなったが、当時はBTき電の頃で火花がよく出ていた。火花が出ることですり板も架線もすり減り、良いことは何もないのだが、そんな事は子供は知るよしもなく。火花を出しながら走る0系は子供心には格好良かった。ただし、この件に関してはBTき電が原因の為、0系特有の現象ではない事は付け加えておく。

あれから20年あまり。0系は走り続けた。今はただ、「お疲れ様」と言いたい。44年間、ありがとう。


関連サイト
JRおでかけネット:ありがとう0系新幹線

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最後の500系のぞみ乗車か~2009西九州への旅(1)~

今年の九州への旅。往路は来年3月での東京乗り入れ終了が確定的な500系のぞみを利用した。今や東京へ顔を出す定期列車は1日わずか2本。うち1本は朝7:30発の為、早起きとなった。


こだま格下げ後は出してくれなさそうな300km/h


乗ったのはW8

博多からは長崎へ向かったのだが、かもめは利用せず、あえて早岐経由で行くことにした。これも周遊きっぷだからこそ成せる事である。


みどりではなく、あえてハウステンボスに乗車

早岐から大村線に乗り換え。列車は諫早を経て長崎本線旧線経由で長崎まで直通する。


大村線キハ66・67


大村湾に沿って走る


諫早にて島原鉄道


ついに長崎に到着

長崎と言えばトルコライス。地元では有名らしい「グリルアストリア」という専門店にて夕食。卵とじのトンカツが美味しかった。そして、諸事情により滞在時間2時間にてかもめに乗り福岡に戻った。


トルコライスおいしゅうございました

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常磐線415系鋼製車最終日

これが本当のお別れ乗車。

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常磐線415系鋼製車乗り納め

3月17日で常磐線から引退する415系に乗り納め乗車してきた。ダイヤ改正を前に3月からは中電の大半がE531系に置き換えられ、403・415系の運用が大幅に減少してしまったが、あらかじめ時刻を調べて、ピンポイントで乗車。土浦まで往復。帰路はE531系の普通車扱いグリーン車の乗り納め。さらに、我孫子駅で降り、弥生軒の唐揚げそばを食べて本日の行程を終えたのであった。

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常磐線E531系二階建グリーン車営業運転開始

常磐線に二階建車両復活!2005年7月限りで415系二階建試作車が引退して以来、約1年半ぶりに二階建車両が復活した。E531系は当初グリーン車の組み込みは予定されていなかったため、常磐線にはもう2度と二階建車両は走らないだろうと思ったものだ。しかし、宇都宮線・高崎線のグリーン車が予想以上に好調なことと、そして何よりつくばエクスプレス(TX)に対抗の意味を込めて、結局、E531系にもグリーン車を導入することになったのだ。

全ての編成に2階建車両の組み込みが終了するまでは暫定的に普通車扱いで営業運転をするのは宇都宮線・高崎線と同様。利用客に対するお試しも兼ねている。

TX開業以来、常磐線には滅多に乗る機会が減っていたのだが、グリーン料金取られる前に乗っておこうと思い、久しぶりに常磐線快速に乗車した。

本日は営業運転開始の翌日で、しかも休日ではあったが、鉄道ファンの姿は思ったより少なく、始発の上野から乗車したにもかかわらず、下りに関しては1階も2階も通路側はかなりの空席があった。やはり、宇都宮線・高崎線の時と違って、それほど新鮮味がないという事なのだろうか。上野駅に入ってきた上り列車は1階も2階も立ち席が出るほど混んでいたが、休日の午前中はどの号車も混んでいるのはいつものことであるので、どの程度影響があったのかはわかりにくい。

また、自分の乗車した列車は特別快速であったのだが、スピードもあまり出さず、TXの130km/h弱のスピードに慣れている身としては、いささか物足りなかった。とはいえ、千代田線直通各駅停車と並行して走る区間では、各駅停車の乗客が皆こちらを眺めており、沿線に与えたインパクトは大きい様ではあった。415系の二階建普通車は早朝と夜しか上野に顔を出さなかったこともあり、存在すら知らなかった人も多いのかもしれないが、こちらは日中も走っているという違いがあるのかもしれない。

問題は明日朝以降の平日のラッシュ時である。TXの開業以降に実施されたダイヤ改正で、常磐快速線は日中時1時間当たり1本減便が実施された。さらに、今回のグリーン車導入により、普通車15両編成が実質13両となる。10両編成に至っては実質8両となる。数年前まで上野口の日中の中電は7両編成や8両編成が走っていたが、現在は短くても11両編成になっていた。これはサービス・ダウンとも言える。そもそも、415系の二階建試作車は、わざわざラッシュ時の運用から外して、なおかつ、比較的空いてる水戸よりの先頭車に連結していたにもかかわらず、乗降に時間がかかり、遅延の原因となっていたのが問題視されていた。今回は、連結位置が4号車と5号車である。また、中電は全列車グリーン車連結になるとはいえ、上野-取手間のE231系快速は今まで通り全車普通車のままである。4号車・5号車付近のホームで待つ客は、すぐに乗れる列車と乗れない列車が混在してしまう状況になる。

明日朝以降、ラッシュ時の常磐快速線は遅れが慢性化することが予想される。特に、日暮里駅での信号待ちはますます増えるであろう。あの駅の手前で赤信号を喰らうと、急カーブ上で止まってしまう欠点がある。

もっとも、既にTX利用に切り替えた自分にとっては無縁な話なのだが。



3月改正までは普通車扱い



鉄道ファンの数は思ったより少ない



2階席



1階席



3月改正で引退する403系


関連エントリ
【期間限定】合法的にグリーン車にただ乗り
常磐線から二階建普通車本日引退
常磐線ダイヤ改正 E531系運転開始

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首都圏から103系が消えた日







本文は後日追加予定.。

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常磐線103系さよなら運転

本日、3月のダイヤ改正で定期運用を外れた103系がさよなら運転を行った。使用されたのはマト7の10両編成であり、15両編成はダイヤ改正前日が見納めであった。北千住-取手間を3往復する内容で、乗車するには専用の切符が必要な、団体臨時列車扱いであった。とは言え、定期列車の合間を縫って走行するため、途中、松戸2番線や我孫子の中線には長時間停車するようになっていた。

北千住、松戸、新松戸、柏、取手では記念のオレンジカードも販売されたが、早々に売り切れた模様。

このさよなら運転をもって、約40年にわたり通勤を支えてきた103系が首都圏から姿を消した。

※厳密には鶴見線に103系が1本残っているが、今後営業運転を行う可能性は著しく低いと考えられる。



北千住駅はすごい人だかり



特製のヘッドマークが取り付けられていた



お疲れ様でした

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つくばエクスプレス(TX)開業 秋葉原駅一時入場規制も

昼休み、つくばエクスプレスの秋葉原駅を見に行こうとしたら、大勢の人だかりが。記念乗車しようとする人々でごった返して、入場規制が惹かれていたのだ。警察まで出動して整理に当たっていた。警備員は、電車に乗車するまで1時間かかると案内していた。それを聞いて諦めて日比谷線に切り替える人も多かった。まさに開業日ならではの光景であろう。今度の土日も同じような光景になるのだろうか。

本日の秋葉原界隈は、いつもの風景には似つかわしくない親子連れや年配が多かった。



地下3階のコンコースから地上まで列が伸びていた。



列の最後尾を知らせるプラカード。



混乱を避けるため入口をA1一カ所に集約。他の入口は閉鎖扱いに。



とにかく凄い列。



気分が悪くなって倒れるおばあさんも。救急車が駆けつける事態に。


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開業目前のつくばエクスプレス(TX) 一日乗車券限定発売で大盛況
つくばエクスプレス(TX)本日開業

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つくばエクスプレス(TX)本日開業

本日8月24日、ついにつくばエクスプレス(TX)が開通した。今月中は常磐線の定期が残っているので、引き続き利用しつつ様子を見るが、本日は開業日なので、乗ってきた。往復共に区間快速を利用したが、いずれも運良く、ボックスシートの窓側が空いていたので座ることができた。

乗り心地はすばらしく、ロングレールなので線路のジョイント音もせず、鉄橋にさしかかっても、鉄橋を渡る時に特有な音はほとんど聞こえてこない。加速も良く、終点の秋葉原まであっという間に着いてしまった。

ところで、TXの車両は、直流専用の1000系と交流と直流双方を走れる2000系の2種類がある。常磐線は沿線に地磁気観測所がある関係で、取手から先は交流電化になっているが、TXも同様の理由により、秋葉原から守谷までは直流電化であるが、守谷から先、つくばまでは交流電化である。従って、つくばまで直通する電車は必ず2000系が使われる。1000系は全車ロングシートであるが、2000系は中間の3号車と4号車がセミクロスシートである。



区間快速秋葉原行きが入線。ついにこの時が来た。



ボックスシート。座席間隔は広いが、座り心地は常磐線E531系の方が上。



2000系のパンタグラフ周辺。交流区間も走るため、ガイシが目立つ。



初日という事もあって記念乗車が多いのか、秋葉原駅の券売機売り場には長蛇の列が



始発となる秋葉原駅コンコース。地下3階であるが、広々としている。並んでいる客のお目当ては限定パスネット



そして、夕方帰宅。早くて静かで快適だった。

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開業目前のつくばエクスプレス(TX) 一日乗車券限定発売で大盛況

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開業目前のつくばエクスプレス(TX) 一日乗車券限定発売で大盛況

いよいよ開業が目前に迫ったつくばエクスプレス(TX)。8月29日から31日まで使用期間が限られている代わりに、値段が500円の一日乗車券が、本日、柏の葉キャンパス駅でも限定発売された。通常、秋葉原からつくばまで片道乗るだけでも1150円かかるだけに、かなりお得な乗車券となっている。

発売開始時刻の30分前から並びに行くと、既に大勢の人が。一人5枚までで限定1000枚とのことなので、買えるかどうか微妙。整理をしていた人の話では、一番早い人は午後1時くらいから並び始めたとか。駅員が並んでいる人に何枚買うかどうか聞いて回っていたが、自分のいた場所のほんの数人前で1000枚に達してしまった。これでは買えなくなってしまうのか??

しばらく待たされた後、急遽、200枚ほど追加されることになった。あとでわかったことだが、枚数に余裕のあった他の駅から試運転列車で回してもらったとか。おかげで無事に買うことができたのであった。それでもまだまだ全員に行き渡るだけの枚数が足りず、さらなる協議の結果、この時点で並んでいて買えなかった人に対して、後日引き替えとなる整理券が配布された。

整理券作成中に並び始めた客に対しては、駅員は、整理券があること自体、喋ろうとしなかった。いずればれるぞと思っていたら、整理券を配り始めてから現地にやってきた人が、駅員(先ほどの駅員とは別の人)に詰め寄っていた。その人の主張では、朝日新聞には販売時間しか書いておらず、枚数限定販売であることは知らなかったと。販売時間内に来た客に対しては売れなどと滅茶苦茶な事をほざいていた。おいおい、少なくとも、公式サイトには告知してあったと思うが。その人曰く、ホームページなんて見てないので知らないと。まあ、ホームページを見る人なんてまだまだ少数派なんだろうけどさ、記事を書いたのは朝日の記者なので駅員に文句言ってもしょうがないだろうに。

並んでいる客層を見ると、どう見ても通勤に使わなさそうな老夫婦が目立っていたのが印象的であった。

開業まであと3日。



凄い列。ちなみに駅の周りはまだ何もない。



自分が並び始めた後も、列はますます伸びていった。



開業記念イベント開催中



ステージイベントの他、屋台や、東京大学のブースもあり。

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常磐線ダイヤ改正 E531系運転開始

7月9日、常磐線でダイヤ改正が行われ。特別快速が新設されると共に、新型車両E531系も、この日より運転開始となった。さっそく、乗車してきたので、レポを書こうと思う。

今回のダイヤ改正は相当PRに力を入れており、JR東日本管内の首都圏の路線で、常磐線から遠く離れた場所でも、広告やチラシをかなり見かけた。

柏から、特別快速に乗車する。特別快速はE531系のみが使われる。駅の構内放送からは、北千住、南千住、三河島は通過するのでご注意をとの放送が繰り返し流れていた。さっそく入線。ホームで待っていた他の乗客も、少し驚いた様子を見せる。

車内に入ると、最近のJR東日本の通勤型車両とは異なり、室内の化粧板は灰色ではなく白色で明るい。椅子の色もブルーではなく、茶系統の柄であった。運転席からは針が全て消え、ディスプレイが並ぶのみ。速度計もここに表示される。最近のJR東日本の通勤型車両は、車両間の貫通ドアが省略される傾向にあり、数少ない扉も、開けっ放しにする乗客が多く、走行中は隣の車両からかなりの風が突き抜けていたが、E531系は、全ての車両間に、片側ではあるが、扉が付いている。しかも、E231系で最近の作られた車両と同じく、開けた後は自動的に閉まる扉になっている。

ドアの上には、快速用の取手までの快速に使われるE231系と同じく、LED表示器が2段並び、下の段には案内や運行情報も表示される他、現在乗車中の号車番号が表示されるようになった。

起動時のインバータの音は非常に小さく、ほとんど聞こえず、加速も良い。最高速度は130km/hとの事だが、柏から上野まででは、そこまで速度を出せる場所はほとんどない。自分が乗車した列車は、唯一、亀有を過ぎてからの直線で加速が始まり、綾瀬を120km/h前後で通過した。明らかに、今までの車両とは景色の流れが異なる。E231系は、たまに110km/h出しているのを見たことがあるが、それよりも速い感じがした。しかし、モーターの音は逆に静かに感じた。歯車比がE231系より小さいためであろう。また、総武快速・横須賀線に使われるE217系が120km/hで走ると、左右にかなりの振動を感じるが、E531系ではそのような振動は感じなかった。通過する駅も含めて、ホームには鉄っちゃんの姿をちらほら見かけた。23分で上野に到着すると、折り返し電車を待つ鉄っちゃんの姿が多数いた。上野駅中央改札口を出ると、駅構内に大きく広告がつり下がっていた。


電光案内 幅詰めすぎで見にくい


ドア上部にある2段LED。下段には号車番号も表示


ドアに貼ってある半自動扉の案内ステッカー。


車内。黒色の吊革とドア付近の黄色の床が目につく。


網棚は従来の網からパネル状のものになったが、光が遮断されるので暗くなったような。


上野にて 特別快速到着直後。写真撮影者が多いためか警備員の姿も。


上野駅中央コンコースにはダイヤ改正を告げる巨大広告が


左からE531系、E231系、そして103系の並び。

しばらく時間をつぶして、帰りの電車もE531系を利用した。今度は取手まで快速運転を行う従来通りの運転である。運転席を観察していたが、100km/h以上出すことはなかった。

常磐線は、1995年と1998年にE501系が投入され、旧型車両を置き換えるかに思われたが、60両で製造打ち止め。ドイツのシーメンス社製のインバータを採用したが、国内メーカーと比較すると故障時のサポート体制などで問題があったようだ。

結局、取手までの快速に使用される車両は、2001年からE231系への置き換えが始まったが、取手以遠に使われる403系と415系は、変化のない状態が続いていた。長年、待たされただけあって、他の地区に投入された車両の不満点が数多く反映される結果となった。今後はE531系が引き続き投入され、再来年には415系鋼製車は全て置き換えられ、ステンレス車体の後期車は水戸線に回され、上野には顔を出さなくなる見込みである。また、現在、10両1編成、5両2編成の計20両だけ残っている103系も、つくばエクスプレス開業後の乗客流動を見込んだ上で廃車されるようである。

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常磐線から二階建普通車本日引退

つくばエクスプレス開業を来月に控えて、明日、常磐線単独のダイヤ改正が行われることになった。今回のダイヤ改正では新型E531系が投入されるほか、日中に、特別快速が新設となる。

その一方で、1991年に一両だけ試作された二階建普通車が、本日をもって離脱することになった。この二階建普通車、クハ415-1901は、翌年にデビューした東海道線の全車二階建車両215系の元となった車両である。クハ415-1901は、デビュー当初は、朝の通勤快速に使われた他、夜も2往復、合わせて一日3往復上野まで顔を出していたが、混雑の激しい常磐線では定時運行妨げの原因となってしまっていた。そして、数年前からは、一番混雑の激しい時間帯から外され、早朝に一往復、夜間に一往復の一日二往復に減らされてしまった。

というわけで、今週、乗り収めに行ってきた。デビュー以来、何回乗っただろうか。二階席に座ると、動き出し始めたとき、独特の揺れが始まる。屋根まで届きそうな曲面ガラスから眺める景色は良好。空調の音が非常にうるさく、車内放送はあまり聞こえない。一方、一階席から眺める車窓も地面ギリギリを這っているようで独特であった。

朝の上りが日暮里駅に着くと、1階から2階から大勢の乗り換え客が降りる。2階は横5列で通路が狭い。また、扉が2つしかないので、発車ベルが鳴り終わった後も、全員降りきれておらず、さらに時間がかかる。つくづくこの車両の抱える欠点を実感した。

今度のダイヤ改正では、E531系は90両の投入であり、製造が終了までは、415系も走り続けることになる。ステンレス車体の後期製造車は水戸線を中心に今後も使われる予定であるが、白に青帯の鋼製車は、いずれは全車引退の予定のようだが、一部の車両が廃車となるものの、当分は走り続ける。

しかし、ステンレス車体の2階建普通車は、真っ先に離脱対象車となってしまった。試作の車両で一両しかないため他の車両にはない部品も多く、使い勝手も悪いのであろう。誕生してからまだ14年。車体にくたびれがほとんど見られないにもかかわらず引退してしまうのが残念でならない。

215系の方も、デビュー当初は、日中は快速アクティーとして東海道線を走っていたが、やはり2扉で乗降に時間がかかる事が嫌われたのか、湘南新宿ライン開業後は新宿折り返しの横須賀線に回された。しかし、昨年秋のグリーン車組み込みのE231系に統一後は湘南新宿ラインからも撤退。平日の昼間は出番がなくなり、休日の日中にホリデー快速として走るのみ、になってしまった。事実上、平日朝の湘南ライナー専用車となっている。

首都圏では乗客が多すぎて二階建車両はグリーン車だけで精一杯、普通車には合わなかったようだ。

明日以降、首都圏で平日に二階建車両に乗る場合は、ライナー券もしくはグリーン券が必要となる。



上野発2051 1461M



この乗車位置案内板も見納め



1335M勝田行 0817柏到着



上野発0749 1335M勝田行発車前



上野発0749 1335M勝田行発車前(2)



座席が全て埋まっているときには点灯して知らせる



独特のサイドビューも見納め。



今回の改正は中距離電車と特急が中心。よって取手までの快速には変化がなく、改正後も103系は残る模様。

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小田急ロマンスカーが東京メトロ千代田線に乗り入れ

小田急ロマンスカーの東京メトロ千代田線への乗り入れについて

 当社と東京地下鉄株式会社では、特急ロマンスカーの東京メトロ千代田線への直通運転を、2008年春に開始することで合意いたしました。
 すでに、小田急線と東京メトロ千代田線では1978年から相互直通運転を実施しておりますが、お客さまのさらなる利便性向上を目的に、地下鉄線内座席指定の特急ロマンスカーを東京メトロ千代田線湯島駅から小田急線町田・相模大野方面へ、平日の夕方から夜間にかけて、帰宅に便利な時間帯に運転する計画です。
 運転計画など具体的な実施内容につきましては、引き続き両社で検討を進めてまいります。
 また当社では、東京地下鉄と連携のうえ、地下鉄線内運行に必要な設備を備えた新型特急車両を製造いたします。(小田急電鉄ニュースリリース

東武特急スペーシアのJR東日本新宿駅乗り入れに引き続き、また嘘のような本当のニュースが飛び込んできた。以前、千代田線を利用して通学していた頃、ロマンスカーが乗り入れてきたら面白いことになるなと勝手に想像していたが、実現するとは夢にも思わなかった。新型ロマンスカーが投入されるようだが、さすがに、前面展望タイプは地下鉄の規格上乗り入れは無理なので、30000形EXEタイプの車両になるのだろうか。
湯島-根津間に引き込み線があるので湯島止まりになったようだが、欲を言えば、休日限定でいいから常磐線にも乗り入れてほしい。

ところで、千代田線には追い越し設備が無いわけだが、代々木上原まではノロノロ運転だろうなあ。

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つくばエクスプレスに対抗 常磐線7月ダイヤ改正

JR東日本から2005年7月に行われる常磐線ダイヤ改正の概要が発表された。[PDF]


  1. 「フレッシュひたち」を朝・夕夜間の通勤時間帯に増発
  2. 「フレッシュひたち」「スーパーひたち」の停車駅増加
  3. 普通列車に新型車両「E531系」を投入
  4. 「特別快速」を新設

見るからに、つくばエクスプレス(TX)への対抗意識満々ですな。JR東日本の試算では、乗客が1日当たり約10万人減り、年間約120億円の減収が見込まれるとのこと。

1.については、上野発19時15分の特急が新設される反面、19時03分の通勤快速が廃止になってしまうのが痛い。つまり、一本減便。TXが開業するのは8月下旬なので、それまで混雑が激しくなりそうな予感。

2.については、茨城県内に入ると各駅停車状態になってしまった。駅間が比較的離れているとはいえ、何とかならないものなのかねえ。松戸、柏、我孫子に散らばっていた千葉県内の停車駅が柏に統一されるのはいいことだと思う。上りで柏から乗る人は意外に多いように思える。自分にはほとんど関係ないけど。上野まで所要時間8分の差で500円払うのはきつい。

3.については、待ちに待った新車の投入である。ラッシュ時には助かる。ただ、扉の数が増えるということは、ボックスシートが大幅に少なくなってしまうという事なんだよなあ。現行では、昼間の中電は11両編成が多いが、これが10両編成になってしまうと、混雑が激しくなる。TXへどれくらいの乗客が移るかにもよるけど。

4.については、北千住通過とはなかなか冒険をしてくれる。上野発現行毎時03分発の中電が10分発の特別快速に振り替えという形になるようであるが、中電は毎時50分発の次が毎時10分という事になり、20分も空くことになる。

結局、このダイヤ改正は、ふたを開けてみないと何とも言えない。特別快速の北千住通過は、すぐに取りやめになりそうな気がするのだが・・・。

7月改正でデビューするE531系の試運転は、ほぼ連日行われているので、先日、撮影しに行ってきた。



我孫子駅中線にて




E231系とE531系の並び




7月改正で引退か?103系


関連エントリ
JR常磐、水戸線に新型車両 05年夏に導入

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東武野田線吊り掛け5070系本日引退

東武野田線には5070系と8000系の2種類の車両で運転されていたが、10月19日のダイヤ改正で5070系が引退することになった。主な引退理由は、ダイヤ改正でのスピードアップにより5070系では定時運転ができなくなるためである。5070系については、検索すれば多数出てくる専門サイトの方に詳しい解説があるので、ここでは概略だけ書いておく。

この5070系、実は、車体は野田線を走る車両では一番新しく、最後まで残った3編成は1985年製である。にもかかわらず、なぜ引退しなければならないのか。それは、下回りが旧式であるためである。5070系は昭和30年代に製造された車両の車体だけ新調した形式であるので、下回りは古いのだ。その旧式具合は半端ではなく設計されたのは1940年代にまでさかのぼる。現在の一般的な電車と異なる最大の特徴は加速時に独特のうなりを発する吊り掛け駆動であるということである。その音の大きさがまた半端ではなく、線路から約3kmは離れている我が家でも夜になれば聞こえるほどであった。また、8000系は台車が乗り心地の良い空気バネであるのに対して、台車も以前の車から流用した5070系は板を重ねただけの板バネであるため、線路の状態が悪い場所を通過する際にはかなり激しく揺れる。乗り心地も音も一般的にみればうるさく迷惑な存在でしかないのだが、鉄ちゃんにとっては、逆にそれがたまらなくてファンも多い。

さて、引退にあたり、東武はさよなら運転も企画してくれたので、通学でお世話になっている電車でもあるし、最期を見届けに乗りに行ってきた。その様子と、引退直前にたまたま来た際に撮った写真をいくつかお目にかけようと思う。V601SHはこんなところで役に立った。



9月30日。いつも通りの平穏な一日




晩年は再塗装もされず車体のあちこちに痛みが




10月15日。ヘッドマークはさよなら5070系ではなくダイヤ改正を告知するもの




今では貴重な板バネ台車。乗り心地は文句なしに悪い




8000系トップナンバーと並ぶ記念列車。左は1985年製、右は1963年製。しかし今回消えるのは左。




記念列車のヘッドマーク




臨時列車ではあったが一般客も乗ることができた。

10月17日13時19分、さよなら運転の記念臨時列車七光台行きは柏を出発したが、その際には駅構内でもお別れの放送があった。記念列車の車掌も今回で引退することを放送で説明していた。いつもはのんびりと走る野田線だが、この臨時列車は結構飛ばして、独特のうなり音をまき散らした。車内には録音機器を持った鉄ちゃんもちらほら見られた。この電車は外見は至って普通なので、録音する方が価値があるという声もある。自分は録音機器を持ち合わせていなかったが、V601SHのボイスレコーダー機能で録音してみた。専門機器には及ばないだろうが、はっきりと録音できていたので、この機能も意外と使える。沿線の踏切や途中駅にはカメラを構えた鉄ちゃんだらけ。野田線でこんな光景は滅多にない。線路の脇には手を振ってくれている親子の姿も見られた。時間の都合上、運河で下車して見送ったが、正式に引退する18日も乗ることができた。

ダイヤ改正以後は8000系のみとなるが、野田線を走る8000系は1970年代より以前に製造された車両がほとんど。車体だけは一番新しい電車が引退して、30~40年以上前に作られた電車ばかりになってしまった。8000系の引退が始まりステンレスの電車が走るのはいつの日のことやら。

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【期間限定】合法的にグリーン車にただ乗り

7月1日から宇都宮線・高崎線に2階建てグリーン車登場! (JR東日本公式より)[PDF/170KB]

というわけで、組み込みが完了する次期ダイヤ改正までは普通車扱いで乗れるE231系の2階建てグリーン車に体験乗車してきた。常磐線の2階建て普通車より断然乗り心地が良かった。当たり前だけど。

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JR特急でセンター試験会場へ

センター試験を受けた受験生の皆様、とりあえずお疲れ様でした。

自分のセンター試験の思い出というと、高3の時は通っていた学校がある区内の国立大学で受けた。通学路とは別な路線ではあったが、片道1時間半くらいと、普段の高校への通学時間とそんなに違いがなかったので、まあ問題はなかった。

問題は、1浪目の時である。当時、センター試験の会場は公立大学のみだった。そのため、自宅へ一番近い国立大学が会場だったのだが、その国立大学が近くに鉄道が通っていない陸の孤島なのである。ここまで書くとそれがどこの大学かわかる人にはわかったであろう。最寄りの駅からバスで40分もかかる場所にある上、最寄り駅までの電車も少ない、事前に時刻表で調べたら、時間に余裕を持たせる事も考えると都合のいい時間に走る普通電車がなく、なんと、特急で最寄り駅まで行く羽目になった。結局、片道の交通費だけで合計2500円くらい、かかった時間は2時間半と記憶している。高3の時より会場が遠くなってしまったのはどうにも納得がいかなかったのであった。おまけに大雪まで降ってたし。翌年からは近くの私立大学も会場に加わったので、ひどい目に遭わずに済んだのだが。

今から考えればいい思い出にはなっていると思うが、当時は行って帰ってきただけで疲れたのであった。おまけに自分の受ける受験科目の関係で、2日とも朝から晩まで会場にいる羽目になっていた。センター試験って休み時間が異様に長いけど、あれは何とかならないものかね。せいぜい30分もあれば十分と思う。

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JR常磐、水戸線に新型車両 05年夏に導入

http://www.asahi.com/national/update/1209/019.html
JR東日本は9日、常磐線の東京・上野―福島・四ツ倉間と、水戸線の栃木・小山―茨城・友部間に、通勤・近郊用の普通電車としては初めて最高時速130キロを出せる新型車両を05年夏から導入すると発表した。所要時間が2、3分短縮されるという。両線の約7割に当たる290両を約300億円かけて作る。

ついについに来た!ドレミファインバータでおなじみのE501系が60両で打ち止めになった後、ちっとも新車が入らなかった中電が置き換えられる日がやってきた。残りの3割はE501系と415系ステンレス車ということか。

公式のプレスリリース[PDF]より
形式は一部で噂されたようにE531系であった。最高速度130km/hというのはJR-Eの通勤一般形では初めてである。デザインがなんとなくいまいちだし、非貫通なのが気になるが。
ボックスシート車が7両なのはちと多すぎるような気がしないでもない。

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さようなら史上最高の新幹線

昨日をもって東海道新幹線から2階建新幹線100系が消えた。10月のダイヤ改正でのぞみだけでなくひかり・こだまも含めて最高速度が270km/hに揃えられ最高速度220km/hしか出せない100系ではダイヤを構成できないためだ。

思えば1985年の100系試作車デビューは衝撃的だった。奇しくも前回の阪神優勝と同じ年である。それまで新幹線といったら0系のあの顔だったから。東北上越新幹線の200系も色が違うだけで基本的には同じ顔だった。そこへさっそうと登場した細長い顔の新型新幹線。なんといっても格好よかった。今は亡きケイブンシャの鉄道メカ完全大百科には「おもちゃが出たら凶器になりそうやねーこの先頭車は」とか書かれていたのが思い出される。しかも2階建車両も連結している。当時、2階建車両なんて近鉄のビスタカー以外になかったから。

一通りの試験終了後、1985年秋から1日1往復ひかりとして営業試用開始。そして翌1986年には量産が開始。1986年11月から博多直通のひかりとして本格的にデビュー。初めて乗ったのは1987年3月。国鉄がJRに変わる2日前だったと思う。編成番号は量産第1編成であるX2であった。乗車区間は新大阪から博多までであった。デッキに通じるドアの上に表示される情報表示が当時としては画期的であった。まだニュースサービスは開始されておらず、表示されるのは「次は○○」という駅名表示、「現在の速度は220km/hです」という速度表示だけではあったが、それでも物珍しかった。通勤電車のドアの上には全て表示されるのは考えられない話であった。そしてシートピッチ1040mmという座り心地のいい座席。増備車からはグリーン車でないにもかかわらずフットレストもつけられた。後継車両である300系、500系、700系いずれにもフットレストが省略された事を考えると、100系こそは接客設備が最高だったと断言できる。福岡の実家帰省中に国鉄はJRへと変わった。博多から新大阪へも100系に乗車。そして食堂車で食事した。その次に100系に乗ったのは1989年の夏、父の仕事の都合で東京へ戻る時になった際に新大阪から東京までグリーン車を利用した。ただし平屋の116型ではあったが。時代はバブル全盛期。昼食はカフェテリアで買ったお弁当であった。

1990年春に300系試作車登場。今までの新幹線とは全く違った外観が衝撃的ではあったが、100系登場時ほどのインパクトは感じられなかった。2階建車両もなかったし。その後、中3の修学旅行で往復とも利用した。この頃、既に東京ー博多の速達列車はのぞみになっていたが、主力はまだ100系であった。

1995年夏、帰省時の往路にはのぞみの指定席が取れず、グランドひかりのV編成を利用した。博多までの所要時間はのぞみより1時間以上も余計にかかった。この時、夕食を食堂車で食べる事ができた。名古屋を出発したあたりから食べ始めて食べ終わる頃には京都に着いていた。あの時2階から見た夕日を一生忘れはしないだろう。指定席ではあったが、新大阪を過ぎると自由席に乗り切れなかった客が指定席の通路にも溢れていた。これが自分にとっての最後の100系ひかり乗車になるとは思ってもいなかった。

試作車誕生からわずか18年。食堂車連結のX編成、V編成は既に無く、本日さよなら列車として運行されたG49編成が落成したのは1991年。最終増備は1991年であったのだ。まだ車齢は12年である。高速走行と走行距離により車体寿命が短いとされる新幹線であるが、12年は短すぎる。300系試作車より新しいにもかかわらず100系は東海道を去る事になった。山陽ではこだま用として当分は残るが、2階建もなく車体の色も変わり、座席は横4列に取り替えられてしまった。300系、500系、700系のいずれも性能は素晴らしいが接客設備は100系より劣ると思う。700系にいたっては売店すらなくなってしまった。座席も100系の方がよかった。100系こそは史上最高の新幹線、この思いは一生変わる事はないだろう。

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生と死の明暗

鉄道車両の寿命はだいたい20年から30年らしい。しかし、踏切事故など不慮の事故に巻き込まれ、製造後まもなく廃車となった車両も少なくない。今回は趣向を変えてそんなお話。

不幸な例:
・JR九州キハ200
キハ200-1007 は1993年の「8.6水害」の際、土砂崩れに巻き込まれ、製造後1年あまりで廃車。この事故はプロジェクトXでも取り上げられた。

キハ200-1011 は、つい先日踏切事故に巻き込まれ、ダイヤの早期復旧のため、ショベルカーで線路下の崖に落とされてしまった。詳しくはこちら


幸運な例:
・JR東日本209系南武線用
首都圏在住者以外の方に説明しておくと、南武線は神奈川県の川崎と東京都の立川を結ぶ路線である。最近は新型車両投入によって山手線を追い出された205系が移ってきているが、京浜東北線でおなじみの209系も2編成ながら走っている。しかし、2003年1月13日、その2編成のうちの1編成が、踏切事故に巻き込まれてしまった。しかし、被害が軽度だったためか、3ヶ月のブランクを経て復活した模様。詳しくは、こちらのHPを参照されたし。

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伊勢崎線&半蔵門線レポート

久しぶりに神保町の古本屋巡りをしようと思い立ち、せっかくだから新路線を使って行ってみることにした。北千住で待っていてやってきたのは東急8500系区間準急。今回の東武との相互乗り入れ以前から半蔵門線に乗る際には営団車より東急車の来る確率が圧倒的に高かったが、この傾向は相変わらずのようだ。なんか巷では東急に比べて東武は田舎臭いとか言われているとか言われていないとか、それはおいておくとして、東急車は更新済みの東武8000系よりぼろく見えた。

昼間だったので、10両編成はがらがら。この区間は昼間は6両編成がふつうだもんな。実際、今回の相互乗り入れに際して、乗り入れ用の東武30000系は6両編成と4両編成を繋げて10両にしており、10両固定編成は作っていない。

曳舟まではノンストップなのにカーブが多いせいかスピードは上がらず。また、車掌が2人余計に乗り込み、走行中の車内でパスネットの販売をやっていた。そして曳舟発車後、すぐに地下に潜った。地下に潜ってもカーブが多く、スピードはあまり上がらなかった。北千住から神保町までは27分で190円。常磐線利用者にとっては今まで通り千代田線で大手町まで行って乗り換えた方が圧倒的に速いわ。

ところで北千住-神保町は、日比谷線経由でも千代田線経由でも190円である。しかも北千住における改札は日比谷線と東武伊勢崎線は共用だし、改札内には千代田線との連絡通路もある。従って、今回のように曳舟経由で行った場合、東武に支払われる運賃はどうなっているのか?なんかこの相互乗り入れ、東武は損をしていると思う。

神保町到着後、中野書店にて藤子不二雄Aの夢トンネル購入。あとでゆっくり読もうっと。他にもいくつかブツを購入。神保町に来たのは実に約4年ぶりであった。

そして神保町から秋葉原へ歩く。約15分で着くので電車に乗るまでもない。秋葉原では80GBのHDDを購入。購入時の20GB HDD が残り少なくなったためだ。これでついに100GB突破。

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