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ドラえもんは怠け者養成漫画なのか

よく目にするのは、ドラえもんはすぐに道具を出すから教育上よくないだの、ドラえもんを読んでいるとのび太のようなろくな大人にならないという意見である。はたして、ドラえもんは本当に怠け者養成漫画なのであるかという事である。このような話を進める際には、藤子不二雄A作品も入れて藤子不二雄として扱うのがいいのか難しいところだが、ここでは、ドラえもんを中心とした藤子・F・不二雄作品全般に限定して話を進める。

怠け者を、仮に本人はそう思っていなくても、周囲の人間に迷惑をかけてアカの他人から見たら人生を無駄にしているように見える、たとえばパラサイトと定義する。一人前の大人を妻子持ちの家庭を築いていると定義した場合、藤子漫画ファンと普通の人間とでは、おそらく藤子漫画ファンの方が独身率は高いと思う。では、のび太がダメ人間だから大人になっても読んでる読者はダメ人間なのか?これは、違う。のび太にあこがれて働きたくないから大人になっても卒業できずに読み続けているとでも思われているのだろうか。少なくとも、のび太がぐうたらだからではない。藤子漫画は作品の量も膨大だし、じっくり研究や考察をするにも膨大な時間がかかる。藤子F漫画の魅力にとりつかれてしまった人間にとっては、そちらを優先した結果であろう。一つの物事に夢中になりすぎて人生を棒に振るのはどの趣味でも起こりえることだ。もちろん、藤子漫画ファンにも時間の使い方がうまくて両立できている方も多数おり、一概には言えない。パラサイトになる可能性があるから藤子・F・不二雄作品は薦められないのかというと、そんなことはない。

では藤子・F・不二雄作品の魅力はのび太のダメさなのか?そもそも、のび太は本当にダメ人間なのか?まず、考慮するべき必要があるのは、ドラえもんは作者も含めて誰もこんなに長く続くなんて思っていなかったこと。それに、学年誌連載作品であったことである。学年誌連載の漫画は漫画専門誌の漫画といくつかの点で根本的に異なる。原則として連載が1年単位であることや、対象学年に対して作風を切り替えているということである。たとえば、小学6年生の3月号に掲載されるドラえもんは、のび太が何らかの精神的成長を臭わせる展開の話が描かれることが多かった。これはもちろん、これから中学生になる読者に対して描いたからである。でも、4月号になったら、下から上がってきた読者に対して、再び描かねばならない。当然、リセットされる。ドラえもんは連載当初は数ヶ月や1年の連載で終わる作品を想定して描いていたかもしれないが、いつのまにか1話リセットで延々と続く作品になった。これが、長い目で見てみると、のび太はいつまで経っても成長しないという意見が出てくる元になったのだと思う。藤子・F・不二雄はそういう意見があることを全く無視していたわけではないようで、たとえば、藤子不二雄自選集4ではこのような見解を述べている。

ドラえもんの漫画本編も1話リセットが基本とはいえ、長期連載の中でのび太の性格も少しずつ変わっていった、また、作品中ではのび太は少なくとも結婚しているし、最終的に一人息子のノビスケが結婚するまで立派に育て上げている(ぼくドラえもん25号収録「45年後・・・」)。妻子持ちの家庭を築く、これだけでものび太は十分大人になっていたと言える。確かに、小学生の一時期はドラえもんの助けを借りたかも知れない。しかし、のび太が大人になる頃にはドラえもんは野比家には居候していない。こうした話が書かれるようになったのは長期連載になるにつれて世間からの批判の声の影響もどこかしらにあると思う。でも連載初期に描かれた未来でも大人ののび太の前にドラえもんはいなかった。当初ジャイ子と結婚していたのは早い時期に既にしずかに切り替わっていた。これも一時期完全に忘れられていたスネ夫の弟と同じで、作者はあまり深く考えていなかったかも知れない。

藤子・F・不二雄作品の魅力に話を戻す。大人になっても藤子漫画を読んでいる人間は、有識者の意見としてよく世間で見られるような、空き地や土管が懐かしいとか、道具に夢があるからといった理由で読み続けているわけではないようだ。では、どういった理由で読み続けているのか?大手同人誌やメーリングリストの投稿を見る限り、S(スコシ)F(フシギ)的要素であるとか、あるいは、藤子F作品では国内外を問わず文化や神話を取り入れる場合も多いので、その元ネタの考察とか、漫画史の話とか、大人の視点で読んでいる。藤子F漫画を考察するには、分野にもよるが、例えば、国内外の文化や神話、時代背景など歴史の知識も必要になってくるし、S(スコシ)F(フシギ)的要素の考察には科学の知識も必要となろう。

藤子・F・不二雄作品やドラえもんのファン、特に大人のファンが奇異な目で見られる要素の一つはアニメの存在である。アニメには他人の手が入る以上、どうしても原作漫画にあるような子供向け漫画であっても大人になったら大人の視点で読み進める要素が欠ける。欠けることによって、ドラえもんや藤子漫画を読んでいる大人に対する偏見が増えるわけだが。なんであんな幼稚な作品を大の大人が読んでいるのだろうというように。なにしろ、大多数の人間は原作とアニメは別物とは意識せずに、多くの人の目に触れやすいアニメをその作品全てと思ってしまうから。また、ほとんどの人間は、藤子・F・不二雄が大人向け短編を多数発表していたことをしらない。大人向け短編を読んでからドラえもんに代表されるような子供向け作品を読み返すと、今までと違った視点で面白く読むことができる。これはある程度年齢と経験を重ねたものにしか味わえない。子供のうちは大人向け短編を読んでも意味を理解することが非常に困難だからだ。

現在、アニメのドラえもんは対象年齢の一層の低年齢化が進んでいる。あの路線では、子供は自分の意志で原作の単行本を買えるようになる前にドラえもんの視聴をやめてしまう。また、原作漫画の存在しないアニメオリジナル作品は出来と不出来の差が非常に激しく、道具の面白さよりは、キャラクターのグンニャリとした動きや過剰すぎる演出で笑いを取る作品になっている。その結果、生じている弊害は、原作漫画を知る人の高齢化が年々進んでいるということである。自分の場合も藤子F漫画の魅力を知ったのは皮肉なことに藤子・F・不二雄没後に出版された追悼本に掲載されたSF短編がきっかけだった。それまではアニメ中心でSF短編には見向きもしていなかったから。

ドラえもんは国民的キャラクターにはなったが、国民的漫画にはなるどころか、逆に年々マニアック化しているような気がする。

また、ドラえもんを批判する人間に対しても、その人間が藤子F漫画をどの程度読んでいるのかで違ってくると思う。また、この手の批判に反論する際に、例えば藤子F漫画のこれとこれを読んでみてくれと言おうとしても、作品がとにかく多すぎる。最低限これだけ読んでおけば藤子F漫画がわかると言った絞り込みが非常に困難である。

近年は、一時期の絶版だらけの状況と比較すると、てんとう虫コミックス未収録作品は容易に読める状況にあるが、根本的な問題はますます深刻化している。この続きはまたの機会に。

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